【朱に交われば赤くなる】
先日、わたしが毎日読んでいる
糸井重里さんの「今日のダーリン」というコラムに、
この「朱に交われば赤くなる」という言葉を題材にした
糸井さん流のエッセイみたいなものがあって、
ホントに久しぶりにこの言葉を思い出して、
ちょっと自分なりに思い巡らした内容を、
この「今日も誰かに」で文にしてみたいと思った。
〈朱に交われば赤くなる〉これはもう言わずもがなだけど、
人は、交際する仲間や友人によって感化されやすい。
ってことのたとえ、として習ったと記憶してるんだけれど、
この言葉って、よくよく考えてみると、
65年生きてきたわたしの歳月のなかで、
わりと節目節目というか、けっこう多めに、
人生の中の自分への戒めみたいなつもりで、
脳裏によぎった回数は、他の色々なメジャーな言葉たちよりも
多かったような気がする。(どんな人生だよ!)っていうツッコミが来そう。笑。
結構、種々雑多な、あっち行ったりこっち行ったりの、
チャランポランな七転八倒人生なのでね。苦笑。
まあ、自分の人生のなかで、いつどんな場面で、
この「朱に交われば赤くなる」を思ったか?なんて、
まったく記憶にはないのだけれども、
それを記憶しているような頭脳があれば、
いま黄昏て、こんな「今日も誰かに」なんて、
書いてるような境遇にはなってないんだろうけれども。苦笑。
(東大入って官僚にでもなって霞ヶ関で蠢いてたかも?)笑。
まあ、冗談はよしこさんってことで、(昭和感満載ギャグ)
ただそんなわたしでも、一つだけこの、
「朱に交われば赤くなる」を思った記憶があって、
それは、わたしのひとり息子君が小学生4年か5年の時、
担任の女先生から、
「○○君は、少し周りの友達に流されるところがあります。」
って指摘されたことがあって、その事はずっと、
記憶から消えずにここまで子育てをして来たかな。
(先生の言葉って重いんだよね。)大変な仕事です。
まあ、わたしもこんな性格ですから、(どんな性格だよ!)
こころの中で、そうは言っても先生、
「人って、そういうものなんじゃないのって」、
良く言えば感受性豊か、悪く言えば主体性が無い。
「朱に交われば赤くなる」とも言うし、
それからの子育ての課題にして来たのは確かだけど、
後、その息子君が遠距離の高校での寮生活をして、
ちょっと性格が歪んじゃってるかな?なんて事も、
その時は幸いにして1年ほどで帰って来たので、
帰って来て、また妻とコミュニケーションをとるようになれば、
以前の素直なピュアな性格を取り戻すだろうと、、。
案の定、1年、2年と、妻と接するうちに、
まるでリハビリみたいにピュアになっていったけど、
「働き始めて少ししてちょっと歪んだかなって、
ちょっと気になったから注意はしてみたけど。」
もうね、自立しちゃってるからね。あんまり言うのもね。
「朱に交われば赤くなる」って、けっこう人にとっては、
切っても切り離せない言葉なんだなって、、。木兎。
「人は環境の動物とも言うし」、
どうしても流れが悪いときは、
環境を変えるのも大きな一手だしね。
還暦過ぎて老後を前に環境変えて、
如何なりますことやら「黄昏文章家」(笑)。
お後がよろしい様で、、。(昭和感)。