運命を拓く不滅の哲学
怒らず、恐れず、悲しまず、 正直、親切、愉快に、
《オイオイハート》

怒りはいったん腹に落とし込む「何事も頭で考えてはいけません。頭で考えてばかりいるから、それこそ頭にくるのです。禅師

〈瑠璃色ジェーン〉

愛すべきヒト・モノ・コト

 

【亡き妻】さえ生きていてくれれば、、と、

2023年新年明けて早々、

そんな想いに捉われるような出来事があった。

もうすでに4日5日過ぎているのにもかかわらず、

いまだに我が身の不甲斐なさに、

時折こころ乱れる自分がいて情けない限りです。

この4、5日、

ウオーキング瞑想で心を落ち着かせてみたり、

働くことでその出来事を忘れさせてみたり、

あの手この手で平静な心持ちを保ってはいますが、

今朝になってつくづく亡き妻のことを思い起こし、

「こんなことでは亡き妻に笑われるな、、。」

なんてことをひとり呟きながら、

気持ちをすっかり切り替えられた自分がいます。苦笑。

 

亡くなっても尚、支えてくれていることに感謝です。

 

 

こころの大きな人でした。

 

心の広い人でした。

 

そして限りなく澄んだ人でした。

 

それはまるで、青い空のように、青い海のように、

 

果てしなく広く、果てしなく深く、限りなく碧く。

 

 

彼女が、余命宣告を受けて後、或る日、

 

闘病している病院のベッドに二人で横並びで座り、

 

わたしはこう問い掛けました。

 

「今まで、お母さんから、愚痴とか悪口とか、

まったく聞いたことがないんだけど、

 

人に怒りだとか、そんなこと思ったりしたことないの?」

 

 

「それは私だって、嫌だなって思ったりすることはあるよ。

でもそんなこと言ったって仕方ないでしょ。」

 

「そうなんだ〜。嫌だなって思うことはあるんだ?

全然そんな風には見えなかった。」

 

 

「それはあるよ。」(微笑みながら)、

 

 

その会話はそこまででした。

亡くなった後、この会話の続きを、

もっとしておけば、そんな時の、

心の処理の仕方なんかも聞けてたのにって、

凡夫のわたしなんかは、思ったりもしたものですが、

 

今回の出来事が起きて、

わたしの心の推移なんかを辿ってみるとき、

 

やっぱりこういう時の心の対処の仕方って、

テクニックとかではないんだな。

その人の精神そのものの有り様なんだなって、

 

やはり凡夫なわたしは、幾つになっても未熟です。

亡き妻あってのわたしでしたが、

亡くなっても尚、支え続けられているわたしです。

 

2023年、新年明けて早々、

 

亡き妻の精神に触れることが出来たことに感謝です。

 

 

因みに、

亡き妻の精神は、ひとり息子にも、

しっかり受け継がれている事が有難い。

 

そしてこの精神が、

 

後の代まで、

 

血脈を通して受け継がれることを想う時、

 

わたしと亡き妻との出逢いの意味が、

 

ここにあるのかも知れません。

 

末代に幸多からん事を、、。

 

 

 

ABOUT ME
文章bunsho
・1958年生まれ フリーブロガー・趣味〜サーフィン(若い頃) 80年卒業後、薬品会社勤務の後83年脱サラ会社起業~現在に至る。傍ら縁あって出会った天風哲学を独学実践。還暦を機に法人解散しフリーランス活動中。 海とトラッドを愛し笑顔で暮らす。
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