運命を拓く不滅の哲学
怒らず、恐れず、悲しまず、 正直、親切、愉快に、
文彰のブログ

【晩年の平穏は何ものにも代えがたい】記憶が時に映し出す美しかった光景。それが見られるだけで幸福だ。

 

 

小説家・伊藤整の自叙伝的小説

「「若い詩人の肖像」の中に、

青春時代を過ごした小樽高商

(現・小樽商科大学)時代に

影響を受けた英語の先生の話で、

その先生は、ある日、

「君たちは私のように歳を取った人間には、

あまり楽しみもないように

思っているかもしれない。だが、

年寄りには年寄りの楽しみがあるものだよ」

と言ったそうです。

伊藤さんは、先生を信頼していましたが、

「本当だろうか。負け惜しみではないだろうか。」

と疑ったそうです。しかし、やがて歳を取ると、

先生の言う通りだと思うようになったそうです。

「自分はもう一度若い時に戻れと言われても、

決して戻ろうとは思わない。

すべての夢は外れた。

結婚するはずの美しい女性とは結婚できず、

住めるはずの豪邸には住めない。

しかし、青春時代は将来への不安と失望で、

少しも楽しくなかった。」と述べています。

実に印象的な述懐です。

おそらく、世のほとんどの誰しもが、

「若い頃に戻りたい」「人生をやり直したい」

そう悔いたり、夢想したりすることが、

あるのはほぼこれは、10人が10人、

あるのではないかと思いますけれども、

伊藤さんは、そういう夢想を拒絶しています。

これは実際、わたしもそういう時が多々あったり、

そんな時は決まって、もし仮に、

「あの日にタイムスリップしたとしても、

うまくやれる保証はないだろうな。」

なんて結論に落ち着くのが関の山で、

実際のところ、

青春の若さも甘酸っぱさも遠い昔話であり、

囘想しても何一つ現実が変わるわけではなく、

それはもちろん、若い時に楽しく、

歳を取ってからも幸福な人生が、

最も望ましいのではあるのでしょうが、

世の中見渡してみてもそれは、

非現実的な妄想の気がしています。

それに、老いるにしたがって段々と、

苦痛や不幸に耐え難くなっているのも事実、

若い頃であれば、何と言うこともなく

勢いだけでも越えられたような事にも、

その堪え性は年々錆び付いている実感があります。

実際、人生の黄昏時を迎えて、出来れば、

不遇やイザコザなどは避けたいと思うのが人情であり、

「晩年の平穏は何ものにも代えがたい。」

だからこそ、その暮らしぶりすべてを、

よりシンプルにして、よりわかりやすい生活。

そうやって暮らすことこそが、

もっとも、老いた身の上には最適であり、

ましてや、老いてのロンリーライフには、

そうやって生きることでしか、

生きる術はないように思っています。

 

限りなくシンプルに、豊かに暮らす

 

老いたロンリーライフのダンディズムです。

 

 

〈孤独にならない老い方〉高田明和(著)抜粋引用

ABOUT ME
文章bunsho
・1958年生まれ フリーブロガー・趣味〜サーフィン(若い頃) 80年卒業後、薬品会社勤務の後83年脱サラ会社起業~現在に至る。傍ら縁あって出会った天風哲学を独学実践。還暦を機に法人解散しフリーランス活動中。 海とトラッドを愛し笑顔で暮らす。
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