中村天風&池田晶子
怒らず、恐れず、悲しまず、〜悩むな考えよ。
文彰のブログ

【謹賀新年】黄昏の2022年のスタート地点に立って思うこと。

【2022年】三ヶ日も過ぎて、

今日の一月四日、

いよいよ新しい年のスタートを切った。

正直、もう少し正月気分を味わっていたいかな、

なんてことを思ったりもしたりしてるけれども、

現実はそうも行きませんので、今日4日、

元気良くスタートを切りました。

実に64回目のスタートというわけですが、

まあ、産まれてから、最初の5、6年くらいは、

スタートもなにもなかっただろうけれども、

それが、物心ついてくるにしたがって、

やれ今年も終わりだとか、始まりだとか、

そんなことを思って、センチになったり、

やたらとやる気になったり、そんなことを

一年一年繰り返しての63年が過ぎ去って、

いよいよ本日、わたしの64年目の一年の、

活動の始まりということですから、

ここは”元気を出して”スタートダッシュを

一気呵成に決めたいと思っているところです。笑。

しかし、こう64回目と、改めて活字にしてみると、

あっという間であって、感慨みたいなものは、

一向に込み上げてきたりはしないものです。苦笑。

何と言うか、その一年の重みとでも言うのか、

それはこの、人生の黄昏時になって来ると、

ズシンと心に響いて来るものがある気がします。

そういった気持ちを感じられるのも、こうして、

ブログというかたちで言葉にしているから、

感じられるものなのかも知れません。

これが日記だったら、そこまで客観的には、

こころの中を省みることはないのかも、、。

同じように文字に起こして、言葉にしたとしても、

そこに第三者が介在し得るブログと日記とでは、

まったく似て非なるもののような気がします。

しかし、あらためて考えてみると、

生後数年間の、純真無垢な無邪気な魂が、

一年一年すぎるにしたがって、徐々に

邪気を纏っていく魂の変遷が、”人生”

というものであるとするのなら、

人生の黄昏を迎えてからの一年一年は、

逆にその不要な”邪気”をすこしずつ

剥ぎ取って行く作業をして行くべき

ときを迎えたのかも知れません。

というか、そうしたい欲望に

駆られている自分がここにいます。

人生、思えば遠くに来たものですが、

その魂には、たくさんの不要なものも

まとわりついてしまって、なんだか不快、

そんなこんなを考える64回目の一月四日、

スタート地点に立って、視線の先にまったく

ゴールテープは見えないマラソンみたいな、

スタートですが、今日から明日、明日から明後日、

それもすべて”今”の積み重ねですから、

”今”この時を、”魂を磨く”作業の連続にしたいと、

強くこころに刻む2022年の始まりの抱負とします。

ABOUT ME
文章fumiaki
・1958年生まれ たそがれヤモメ・趣味〜サーフィン(若い頃) 80年卒業後、薬品会社勤務の後83年脱サラ会社起業~現在に至る。傍ら縁あって出会った天風哲学を独学実践。還暦を機に法人解散しフリーランス活動中。 海とトラッドを愛し笑顔で暮らす。
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