運命を拓く不滅の哲学
怒らず、恐れず、悲しまず、 正直、親切、愉快に、
 fumiakiblog

【鶏口となるとも牛後となるなかれ】大きな牛であっても、その尻になるくらいなら、小さな鶏の口になる方がいい。

 

何やら、この「今日も誰かに」が、

諺シリーズみたいな様相を呈してきましたが、笑。

いえいえ決してそういったことではなくて、

先日の「朱に交われば赤くなる」の文章を書いてる時に、

ちょっと過去を振り返ったりしているときに、

そう言えば自分の幼い頃こんなこと思ったなみたいな、、。

ふと思い返すなかで、この諺が脳裏に蘇ったものだから、

ちょっと一文書いてみようかな?そんな感じです。苦笑。

 

鶏口となるとも牛後となるなかれ

 

 

「大きな牛であっても、その尻になるくらいなら、

小さな鶏の口になる方がいい。」

大きな組織にあって誰かの指示を受けるよりは、

小さな組織でリスクがあっても指示をする立場の方が

ましであると言うことのたとえ

 

 

この諺を習ったのは、小学校低学年か高学年だったか?

まあ、そのあたりは曖昧なんですけれども、笑。

 

ただ、この諺を聞いたときに、幼い子供心に、

なんかちょっぴり勇ましさを含んだ言葉だなって、

カッコいいって言うとちょっと違うんだけど、

何かこう、真っ直ぐこころに刻まれたって言うか、

幼いわたしの心の琴線に触れたって言うのか、、。

 

わたしのその後の人生において、間違いなく、

何らかな影響を与えたことはたしかです。

 

まあ、それが良かったのか悪かったのかは、

ここではひとまず置いてはおきますけれども。笑。

 

ただ、よく言われることですが、

人は、自分で体験すること、

人と話すこと、

書物を読んで学ぶこと、

この三つが人の成長の三大要素であると、

 

そう言った意味では、まだ幼い時分の、

脳の柔らかい頃に刻まれたこの言葉、、。

 

それはそれで良かったのかもしれませんが、

その上に、もっともっと努力することの大切さ、

 

継続することの大切さ、なんかを刻むような、

 

そんな諺に数多く接していれば、

わたしの人生も全然違ったものになったような、、。苦笑。

 

せめて産まれ来た息子の息子君には、

良い出会いがありますように、

 

しかし如何せん、今の情報化社会、

私たちの時代とは比べるべくもなく、

 

それでも今の教育環境のなかで、

彼には彼にとっての出会いがきっとある。

 

そう信じて、憂う事なく、生を全うしたい。

 

 

ABOUT ME
文章bunsho
・1958年生まれ フリーブロガー・趣味〜サーフィン(若い頃) 80年卒業後、薬品会社勤務の後83年脱サラ会社起業~現在に至る。傍ら縁あって出会った天風哲学を独学実践。還暦を機に法人解散しフリーランス活動中。 海とトラッドを愛し笑顔で暮らす。
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