運命を拓く不滅の哲学
怒らず、恐れず、悲しまず、 正直、親切、愉快に、
美しき人の言葉

大阪府健康医療部藤井睦子部長の年齢は?キャリアは?信念は?(吉村府知事の名参謀)

【藤井部長キャリア】
京都大学教育学部卒業
1986年入庁
総務人事課を皮切りに、
企画、財務、教育と異動を重ね、
50歳を過ぎ、現部署、
健康医療部に配属、現在55歳、
2人の子供を持つ、
スーパーキャリアウーマン

新型コロナウイルス感染症に、
敢然と立ち向かい、
その発信力と、強烈な
リーダーシップで、
一躍名を上げた、
吉村洋文大阪府知事。

神奈川県で、国内初の
コロナ感染者が出た1月16日、
その10日後には、健康医療部内に、
コロナ対策本部を立ち上げた。
それは、まだ、大阪で感染者が
出る以前のことで、そこから、
1000人弱の健康医療部内に、
次々と、対策班を立ち上げて、
最大25班で250人。
感染者を一例ずつ追うチーム、
防護服やマスク等を調達する
医療物資班、病院支援班、
各国の情報を収集する、
情報収集班など、その各班の
業務は多岐にわたります。

その迅速さは、国をも圧倒し、
いつのまにか、その大阪の動きは、
全国的に抜きん出た存在となり、
今では、そのコロナ対策において、
全国民が注視する注目の的である。

その吉村府知事を陰で支える、
コロナの医療対策で、庁内に
立ち上げた特別班250人の
陣頭指揮を執る健康医療部の
藤井睦子部長。

《藤井部長から見た吉村知事》
「自身のこれをやりたい!という
事のために、具体的に組織に
指示を的確にする人」だが、
「部下が意見を言えない
雰囲気ではない」という
良好で理想的な関係性である。

1月からは、ほぼ毎日顔を合わせ、
経済対策を担う「危機管理室」を
交えて議論を重ねた。

大阪の緊急事態宣言が解除が決まった
5月21日には、会見の席上で、
「この日を迎えられたのは、
藤井部長をはじめとする、
すべての府庁職員のおかげ」と、
よしむら府知事から労われる
一幕もあった。その感謝の言葉に、
「長時間頑張っているいろんな部署の
職員に対して言葉を頂いたと思うと、
非常にうれしかった」と
藤井部長の表情も和んだ。

そんな国をも圧倒した迅速な対応にも、
「私、せっかちなんです」と言って笑う
大阪府健康医療部藤井部長の信念とは、、。

【藤井部長の信念】

京大教育学部を卒業し、
1986年に入庁、
当時は女性が配属される
職場も限定されており、
「若い頃は、壁というか、
”女性だから”という
ことを感じたこともあった」
総務人事課を皮切りに、
企画、財務、教育と異動を重ね、
自然と「壁」も感じなくなった。
その間、2人の子供を出産、
毎朝、4時起きで、
子育てと仕事を両立した。

自分の力は幾つになっても
伸びると思っています。
だからいくつになっても
チャレンジするんです!
50歳を過ぎ、現部署に
配属になった際も、
本を読み漁り、
「もの凄く勉強した」と言う。
コロナが小康状態の今のうちに、
「”大阪モデル”をより良いものに、
バージョンアップさせたい」
必ず来るであろう第2波に向けて、
早くも走り始めています。

<スポニチアネックス記事参考引用>

藤井部長の信念

【いくつになってもチャレンジ!】
今回のコロナ禍で、
失なわれたもの、
気付かされたもの。
たくさんの事がありました。
この大阪府の藤井部長さんも、
この騒動がなければ、
まったく市井の人として、
クローズアップされる事も
なかったと思われます。
そういう意味では、我々に、
人としての生き方、
あるべき人としての姿を、
こういう市井の中から、
ピックアップされるような形で、
顕してくれたコロナに、
違った意味で感謝すべき
なのかもしれません。
「いくつになっても
チャレンジ!」
肝に銘じたいと思います。

大阪府健康医療部藤井睦子部長
ABOUT ME
文章bunsho
・1958年生まれ フリーブロガー・趣味〜サーフィン(若い頃) 80年卒業後、薬品会社勤務の後83年脱サラ会社起業~現在に至る。傍ら縁あって出会った天風哲学を独学実践。還暦を機に法人解散しフリーランス活動中。 海とトラッドを愛し笑顔で暮らす。
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