中村天風&池田晶子
怒らず、恐れず、悲しまず、〜悩むな考えよ。
桜色の物語

心の持ち方ひとつでこんなにも見える景色が変わってくるのか!パラリンピアン谷(佐藤)真海さん

 

一人の独裁者による理不尽な侵攻によって、

 

本来なら今頃大きな脚光を浴びて、

 

長く深い苦節を生きて来られた、

 

数多の素晴らしい人達への、

 

その輝きのスポットライトをも、

 

無惨に消し去った悲しい蛮行、

 

今回は、過去のパラリンピアンの、

 

その苦闘の半生を振り返りながら、

 

北京パラリンピックで、

 

苦しく切ない闘いを余儀なくされている、

 

多くのパラリンピアンへの

 

エールとしたいと思います。

 

 

 

 

東京オリンピック・パラリンピックの招致イベントでの

プレゼンテーショントップバッターで、

その見事なプレゼンで一躍時の人となった谷(佐藤)真海さん、

突然、障碍者となり、壮絶な葛藤の末に、

ある義足との出会いによって、前向きになれた自分に対して、

その時感じた想い。

 

「心の持ち方ひとつでこんなにも見える景色が変わってくるのか!」

 

小学生の頃は水泳、中学生からは陸上競技と、

少女時代は「やんちゃガール」と言われるほどの活発な時を過ごされ、

大学は早稲田大学に進学されて、

 

応援部チアリーダーズに入部、

大学生活に慣れるのに精一杯な一年間を過ごし、

二年生の秋になり、

 

そろそろ勉強もして将来の夢を探していこうという時期に、

突然、右足首の痛みを覚え、

最初は捻挫かな?くらいに思って、

アイシングをしたり、

テーピングをしたりでチアの活動を続けますが、

段々と痛みがひどくなって、

いよいよ近所の整形外科を受診します。

本人は疲労骨折かな?くらいに考えていましたが、

 

レントゲンの画像を見た先生は「なんじゃこりゃ!」と驚かれて、

その日のうちに大学病院での受診を勧められ、

 

大学病院の先生からは、

 

もっと専門の病院を受診したほうが良いとすすめられます。

 

例えばがんセンターとか、そして後日受診したがんセンターで、

 

おそらく「九割方、骨肉種でしょう」と告知されます。

 

先生の話では、小児がんの一種であり、

 

命に関わる病気であること、

そして治療は少なくとも9~10ヶ月はかかるということを言われました。

 

そして、「すべての治療がうまくいったとしても、

右足の膝から下は残せないでしょう」と言われます。

 

右足を失って、どうやって生きていけばいいのか。

 

涙が溢れました。

 

スポーツが生きがいだった自分は、

足を失ってどうやって生きていけばいいのか、

 

将来がまったく見えなくなった中で、

 

先生の言葉「今は義足が発達してるから、

またスポーツできるよ」と教えられます。

 

義足で生活する人に会ったこともない、

 

パラリンピックの知識もない19年間を過ごしてきた本人の中で、

 

その先生の言葉はかすかな望みとなりました。

そしておよそ一年間に及ぶ、

手術、苦しい抗がん剤治療を終えて大学生生活に戻りますが、

 

慣れない義足、脱毛を隠すためのウイッグ、

 

気持ち的にはさらに落ち込んでいきます。

一日一日を生きていくことに精一杯で

まったく前向きになれない自分にもがき苦しみます。

 

そんな時に、入院中の仲間が旅立ってしまい、

 

こんな自分でいいのかと問い直します。

 

そして幼い頃からのスポーツマンとして身に染みついていた、

 

目標を作ってそれに向けて

がむしゃらに努力しなければ達成できない」

という考え方に気づき、

何でもいいから何かスポーツにトライしよう!

と目標を定めます。

そして、いよいよ慣れない義足で走った時の

生涯忘れられない感覚

風を感じるってこういうことだったな、

とワクワクした感覚」

 

義足になっても両足で地面を蹴って走っている。

 

すべてを乗り越えられる気持ちになりました。

 

再びスポーツにチャレンジするようになり、

一つ一つのことに感謝の気持ちを持てるようになり、

 

幸せをたくさん感じられるようになり、

心の持ち方ひとつでこんなにも見える景色が変わってくるのか!」

 

そしてその後は、アテネ、北京、ロンドンと、

 

3大会連続でパラリンピックに出場と輝かしい人生を歩まれます。

そして今は東京パラリンピック目指して、

その命を輝かせ続けています。

 

〔真海さんの想い〕

 

心に壁をつくらず、一人ひとり個性があるので、

 

義足もその一つだととらえられる社会になるといいな」

ABOUT ME
文章fumiaki
・1958年生まれ たそがれヤモメ・趣味〜サーフィン(若い頃) 80年卒業後、薬品会社勤務の後83年脱サラ会社起業~現在に至る。傍ら縁あって出会った天風哲学を独学実践。還暦を機に法人解散しフリーランス活動中。 海とトラッドを愛し笑顔で暮らす。
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