中村天風&池田晶子
怒らず、恐れず、悲しまず、〜悩むな考えよ。
⭐️波乗り天風

【真・善・美】「真」天風哲学が説く100年続く至高の人生哲学「大いなる悟り」

 

今回は、”真・善・美”について、

 

哲人中村天風師の説かれた内容を、

 

「運命を拓く」第五章・”大いなる悟り”の文章を

 

要約するかたちでまとめてみたいと思います。

 

この文章を、天風哲学に心酔する、

 

かの大実業家・松下幸之助、稲盛和夫氏、

 

はたまた、今をときめくメジャーリーガー、

 

大谷翔平氏などが、如何なる想いで、

 

読み進めたのかに想いを馳せながら、

 

じっくりと味わいながら、且つ、

 

出来るだけ簡潔に要約してみたいと思います。

「運命を拓く」第五章”大いなる悟り”要約文

 

〈心とは広大無辺なるもの〉

 

今日は、人の心というものは、

 

何物にも比ぶべくもないほど、

 

偉大なものであると同時に、

 

この偉大なものを人間にのみ

 

与えたのはどういうわけか、

 

ということを悟ることにしよう。

 

現在の人々は、物質文明という時代に

 

生まれたおかげで、物質的方面の

 

生活に対する便利さは、

 

昔と今とでは比較にならないほど、

 

幸福に活きられている。

 

しかし精神的方面の生活というものは、

 

昔の精神主義で活きている人間に比べると、

 

それは全くお粗末である。

 

このような事実が存在しているのは、

 

その偉大な心が、なぜ人間だけに与えられているか

 

皆目わからずにいるからなのである。

 

それでは、心は本当にどれだけ

 

大きいものであろうか。これはもう、

 

考えればすぐに考えつくことである。

 

およそ、大宇宙というものは、

 

この世の中の一番大きなものである。

 

と誰でもが考えている。がしかし、

 

そこで、真剣に気づかねばならないことは、

 

人間の心の大きさである。

 

果てしない大宇宙よりも、

 

人間の心の方が偉大であるということである。

 

月を見て佇めば、心は見つめられている月よりも、

 

さらに大きいということを、

 

星を見て佇んでいるときに、

 

その星を見て考えている心の中は、

 

大きなものを相手に考えているんだから、

 

それはもう、それだけで、

 

星以上に大きなものではないか。

 

星を見て、その星よりもさらに洪大な様子を

 

心は想像できる、

 

という簡単なことを考えただけでも、

 

いかに人の心が一切をしのいで広大であるか。

 

「広大無辺の大宇宙よりも

 

さらに心は大きいじゃないか・・。」

 

外観上では、人間よりも遥かに大きい太陽にも、

 

月にも、星にも、心というものはない。

 

ありがたくも、尊い、

 

こうした偉大なものを頂戴していながら、

 

それをわからずに、かえって

 

その心を粗末にして、自分の健康や

 

運命を悪くしている馬鹿者が、

 

いくらも世の中にいやしないか。

 

 

〈不思議な力(ヴリル)〉

 

造物主(宇宙霊)の無限の力を正しく自覚し、

 

同時にその無限の力を、

 

心の働きと力で、

 

人の命の中へ受け入れ、

 

万物の霊長たる資格を

 

完全に発揮し、同時に、

 

造物主(宇宙霊)の心持ちである

 

進化向上に順応し、

 

人という人の間を睦まじく、

 

造り上げていくために、

 

こうした偉大な心が与えられているのである。

 

ところが地球上に生きている人間の多くは、

 

心の偉大なことを忘れて、しょっちゅう、

 

自分の体のことばかりを考えて、

 

神経を過敏にし、そのうえに、

 

人間同士の間柄を睦まじく

 

やっていこうなんて

 

心はありはしない。

 

一方においては、愛を説く人間達が、

 

人を殺し合ってるじゃないか!

 

心の本当の値打ちを知らないからだ。

 

厳かに考えてみよう。

 

哲学的にいうなら、

 

あなた方の自我の中には、

 

造物主(宇宙霊)の無限の属性が、宿っている。

 

それは、自分および人の世のために、

 

その尊いものを善用して、

 

この世に生まれた人間達の幸福を増進し、

 

進化と向上とを現実化させようとする、

 

造物主(宇宙霊)の意図に

 

他ならないのである。

 

よく考えてみよう。

 

自分を貧弱な哀れな人間と思う考え方ほど、

 

およそ値打ちがなく意味のない人生は

 

ないのだということを。

 

運河の水を考えてみよう。

 

運河だけ考えてみると、水量は極めて僅かしか

 

ないようにしか見えない。しかし、

 

あれが大海と繋がって存在している

 

現在の状態を考えてみるなら、

 

運河は無限の水量と繋がっているのだ。

 

運河の水も大海の水も、

 

同じ本質なのです。

 

人間を、

 

ただそれだけの存在で考えれば、

 

極めて小さい。

 

ときには哀れで貧弱なものに

 

考えられるかもしれない。

 

しかし、その心を通じて、

 

自分の命と造物主(宇宙霊)とが

 

常に結びついている、という

 

侵すべからざる事実に気付いたならば、

 

どんな思慮の浅い人でも、

 

「ああそうだ!自我の中に、

 

造物主の無限の属性が存在しているのだ」

 

ということを悟れるはずである。

 

運河の水も大海の水も同じだ。

 

人間の命の中に存在する

 

「この不思議な力(ヴリル)」

 

というものは、

 

造物主(宇宙霊)が持っている力と

 

同じ力である。

 

さあここで、人間として考えなければならない

 

一番必要なことは、

 

どんな場合があろうと、

 

この造物主と自分の生命との結び目を

 

堅固に確保することである。

 

この結び目を堅固に保たないと、

 

病が出たり、

 

不運が来たりするのである。

 

 

 

〈真・善・美〉

 

蒔いた種子のとおりに花が咲くのである。

 

消極的な心になると、

 

造物主の心と自分の心とが

 

離れ離れになってしまうのである。

 

造物主の心の中には、

 

消極的な弱いものは、

 

一つもないのである。

 

造物主の心は絶対に積極である。

 

人の心の中に不思議な働きのあるのは、

 

宇宙霊の心を分配されているからである。

 

されば、造物主(宇宙霊)の心とは、

 

「真」「善」「美」である。

 

「真」とは「誠」である。

 

「誠」とは一点の嘘偽りもないことが

 

「誠」である。

 

筋道が少しも乱れてないのが「誠」である。

 

「善」とは、「愛情」のことである。

 

「美」とは、「調和」のことである。

 

造物主と同様の心になるには、

 

どんなことがあっても、

 

心に誠と愛を満たし、

 

和を旨とした生活をすれば、

 

造物主と自分との結び目が堅固に出来る。

 

そうした心で活きると、

 

健康も運命も、

 

どんどんよりよい状態になってくる。

 

 

大碍の辞

 

 

ああそうだ!

 

我が生命は、宇宙霊の

 

生命と通じている。

 

宇宙霊の生命は無限である。

 

そして不健康なるものや

 

不運命なるものは、

 

宇宙霊の生命の中には絶対にない。

 

そして、その尊い生命の流れを

 

受けている我はまた、

 

完全でそして人生の一切に対して

 

絶対に強くあるべきだ。

 

だから、

 

誠と愛と調和した気持ちと、

 

安心と勇気とで、

 

ますます宇宙霊との

 

結び目を堅固にしよう。

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