「暮らし綴り」
(ショローの男)が、
何となく楽しいと感じたこと、
フッとこころに浮かんできたこと、
寄せては返すさざ波の調べのように
穏やかにゆるやかに文章に綴った
エッセイのようなもの。
〈黄昏ブロガーナルーの暮らし綴り〉
今日の一葉
【きけわだつみのこえ】
わたしが初めて自分の意思で選んで買った本が、
「きけわだつみのこえ」だった。
ここのところの激しい雨も、
少し落ち着いて、青空も覗けるようになって、
重い雨雲を眺めながら、今日が8月15日なのだと
しばらく感慨に耽る朝のひと時だった。
戦後76年、76年前のこの日、
先人たちはどんな想いで今日という日を過ごしたのか、
どんなにイマジネーションを駆使したところで、
わたしには到底窺い知ることは出来はしない。
ただわたしが今、考えを巡らせている事とすれば、
実は今も、有事、戦時の真っ只中であって、
コロナという「細菌兵器」を仕掛けられた戦時中、
などと言う、一見、陰謀論のような話しが、
まことしやかに流布されているネットの世界であり、
しかしながら平和ボケした私たちには、
まったく実感として腑に落ちることはなく、
それでもコロナ禍という現実から逃れようと、
右往左往している世界中の人々の姿だけが、
ただ瞼に焼き付いて記憶されていっている現実がある。
「きけわだつみのこえ」
第二次世界大戦末期に戦没した
日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集であったが、
小学校高学年になったばかりの頃、
親に連れられて入った初めての書店で、
初めて自分の意思で選んで買って貰ったのが、
この「きけわだつみのこえ」だった。
特攻に赴く若者たち(わだつみ・海神)の父母・兄弟に捧げた
最期のこえなきこえ(言葉)は、まだ幼いながらも何故か妙に
自分のことのように、心に刺さったのを記憶しています。
これは、比べようも無いことだけれども、
あの忌まわしい大戦の惨禍に散った多くの人々、
理不尽という言葉では言い尽くせないほどの理不尽な生に比べれば、
まだ理にかなった生の中で戦える現実を噛み締めて、
今自分が出来る事すべき事をしっかり自覚して、
このコロナ禍という今を、生き抜こうと思います。
線状降水帯、これも凄い現実。
環境問題とも、もう少し向き合わなければ。
そんなこんなを考えさせられた76年目の8月15日。
先の大戦で亡くなられたすべての方々を追悼し、
世界の平和を心から祈念いたします。合掌。