古今東西、多くの詩人たちの作品、
〈潮騒の詩集〉
【クラーク博士】
少年よ大志を抱け。
しかし、金を求める大志であってはならない。
利己心を求める大志であってはならない。
名声という、つかの間のものを求める
大志であってはならない。
人間としてあるべき すべてのものを
求める大志を抱きたまえ。
新訳〈信念の魔術〉
「人生を思いどおりに生きる思考の原則」
・ダイヤモンド社
には、「信念の力」で人生は、
思いどおりになる!とある。
多くの人が求めているのに
少数の人の手にしかつかめない
幸せというものは、
私たちの自らの心の内(潜在意識)にある。
その潜在意識を活用する方法は、
心にイメージを描くことだと言う。
明確な信念が潜在意識を呼び起こし、
奇跡を起こす!
〈クラーク博士について〉
1826年アメリカ合衆国
マサチューセッツ洲に
医師である父アサートン・クラークの
家に生まれました。
医学ではなく、動物学や植物学そして化学に
魅力を感じていたクラークは、
ウインストン神学校を卒業すると、
アマースト大学に入学しました。
卒業後は、母校のウインストン神学校で
化学を教えていましたが、
更なる教養を求めて、ドイツの
ゲッテインゲン大学に留学しました。
ドイツでは、化学と植物学を学び、
化学の博士号を取得したのです。
1852年、20代でその優秀な成績に
惚れ込まれ、母校の
アマースト大学の教授になります。
大学では、専門の化学の他に植物学と動物学も
教えました。
その後、アマースト大学でクラークの
授業を受けていた、
日本人留学生の新島襄の紹介で、
日本政府から熱心なオファーを受けて、
1876年7月に、札幌農学校の教頭として、
日本にやってきました。
(新島襄は、日本の教育者であり、
岩倉使節団の案内役も務めた
同志社大学を創立した人物です。)
札幌農学校の生徒は、戊辰戦争に敗れた
旧幕府軍側の元武士が多くいました。
彼らは元武士というプライドから
農民と同じ仕事をすることに
抵抗を見せますが、クラークの
情熱的な指導により、
酪農への魅力を
感じていきました。
これが、北海道が酪農そして
農業の発展に繋がったことから、
「北海道開拓の父」とも
呼ばれています。