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古今東西、多くの詩人たちの作品、
〈潮騒の詩集〉
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「大きな手」
どんなに厳重な塀でも
とりつくしまもないほど
遮断してある塀でも
どこかに
ひとところは
そっと とり外せるように
仕掛けてあって
じっと立ち止まって 眺めていれば
かならず
それが見えてくる
立ち騒ぎさえしなければ
そのことを
もっと早く わかっていれば
もっと楽に 人生を送れたものを
ひと ひとりが
生きてゆく道を塞ぐほどの
大きな塀は ありはしないのだ
題名の「大きな手」
いわゆる手足の「手」ではなく、
人間を超えた
「大いなるものの手」
それをこの詩からは
感じられてなりません。
作者が覗いた
人生の深みのようなものが、
ひしひしと伝わってきました。
人には、
乗り越えられる
課題しか
現れはしない。
そんなメッセージが響きます。
〈山下春彦さんの短い随想〉
「50数年、中断していた詩が、
ここ二、三年来、
何となく甦り、
近頃は詩を思うことが
楽しくなりました。
若い頃に較べると、
今はずっと楽しんでいるようです。
人さまにどう思われようと、
自分の感じたまま、
そのままを言葉にする、それでよい。
大正ロマンの残照があれば、
そこに自分の青春を置いたのだから、
それはそれでよい。
とも思うのです。
家業に埋もれていた五十年の間も、
美しいものに対する少年のあこがれが
まだ生きていて、
今、
甦ったことを詩神に感謝し、
子供達や孫たち、
そして一族の者たちに、
私の過ごしてきた生を、
そして今の自分の
あるがままの姿を
残しておいてやりたい。
ただ、
それだけのことです。
山下さんはこの随想を書かれた五年後、
1997年にお亡くなりになりました。
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