こころノベル【ハート物語】
「二十歳の誓い〜
笑顔という名の人生バトン」
(どんな時も笑顔で生きて行く!
それこそが母の教えだから!)前篇
学生のときのこと、
父が突然の病で
この世から去って、
難病を患い、
車椅子の生活の
母とふたりで、
2DKのアパートで
暮らすことになった。
父の死は
あまりに突然だった。
あっけない最期だった。
死に目にも会えなかった。
人の一生って
儚いんだなと思った。
何も力になんか
なれなかった。
自分の無力さを
しみじみと
味わった気がした。
これまでは、
ニュースなどで
知るだけだった
大切な人との別離、
震災で大切な家族を
亡くした人達の想いや、
不慮の事故で
大切な人を
亡くした人達の想いが、
ほんの少しだけど
わかったような気がした。
人生って無常なもの
なんだって、
こころから実感した。
亡くなったときは、
すごくショックで、
葬儀や法事や
何やかやで、
ゆっくり悲しむ
暇もないほど
だったけど、
そんなこんなが
ひと段落して、
少しだけ
落ち着いて、
母とふたりで、
これからのこと、
ゆっくりと
話し合った。
暮らすと
いうことの
現実感
みたいのが
目の前に突然
迫って来た。
そんな気がして、
漠然とした
恐怖感に、
怖気付く自分が
そこにはいたけど、
母はそんな素振りを
まったく見せずに
「大丈夫だよ」と、
いつも通りの
優しい笑顔で、
ゆっくりと、
語り合ってくれた。
とりあえず
ふたりで
暮らしやすい
環境を
作ろうと決めて、
今のアパートに
引っ越しを
することに決めた。
今は、
医療系専門学校の
三年生になったばかり。
母は病のせいで、
家事のほとんどが
思い通りに
できにくく
なってはいたけど、
それでもふたりで
いつも
明るく穏やかに
笑い合って
暮らしてる。
「いってらっしゃい!」
いつもの母の
優しい笑顔に
「いってきます!」
ようやく慣れ始めた
新しい日常の
のどかな1日が、
始まった、、。
何気にドアを閉めて
自転車置き場で
自転車に鍵を
差し込みながら
すぐ隣の駐車場で、
何かいつもと違う
ザワっとした気配を
一瞬感じたような
気がしたけど、
とりあえず
自転車を出して
駐車場横を
通り過ぎようとした時、
一台の車の横で
うずくまってる
人影が見えて、
僕は咄嗟に
自転車を止めて、
その人影の方へと
歩み寄ってみた。
肩まで伸びた
長い髪の
細身の女性が
軽自動車の
前輪のところで
うずくまっていた。
急病かなと思って、
「どうかされました?」
「大丈夫ですか?」と
声を掛けてみた。
「アッ」と小さく言って、
その長い髪の女性が
こちらを振り向いた。
「何だかパンク
しちゃってるみたいで、、」
ちょっと肩越しに
覗いてみた。
「アッ、パンクですね!」
「よく気付きましたね!」と、
振り向いた彼女に
笑顔で言った。
「いつものように
エンジン掛けて
出ようとしたら
ガタって音がして」
困り顔の彼女が
そう言って苦笑した。
続けて彼女は
「どうしよう?」
と言って悩み顔になった。
「確かお隣さんですよね」
と言いながら僕は、
「ちょっとトランク
開けてもらって
いいですか?」
彼女が慌てた様子で
おもむろに
トランクハッチを
開けてくれた。
「中見てもいいですか?」
「アッはい!」
「スペア入ってますね!」
「タイヤ交換しましょう!」
「ありがとうございます!」
一瞬、間があって、
「アッ、でも時間ギリギリだから
今日はタクシーで行きます!」
そう言って彼女は、
申し訳なさそうに微笑んだ。
何だかその仕草が
やけに胸に刺さった僕は、
思わず、
「良ければ僕の車で
送りますよ!」
と言ってしまった!
すると彼女が、
「そんな迷惑は
掛けられないから」
と言って、また
申し訳なさそうに
はにかんで言った。
「大丈夫ですよ!
僕今日は朝の時間
余裕あるんで!」
と笑顔で言った。
彼女も少し笑顔に
なった気がした。
すると、僕の部屋の
窓が開いて、
「どうしたの?」
と母が心配そうに
声を掛けてきた。
「お母さん今日、
車で行く!」
そう言って僕は、
自転車を戻して、
車の鍵を取って、
彼女の所に
戻って来た。
笑顔で、
「行きましょう!」
と言うと、
彼女も笑顔で、
「ありがとう!」
と言って、
僕の後についてきた。
「どうぞ!」と言って、
助手席のドアを開けて
彼女を促した。
「ありがとう!」
と言って、
また申し訳なさそうに
微笑みながら、
彼女が乗った。
朝の通勤時間で、
何度も信号待ちを
繰り返しながら、
無事に彼女を
時間通りに
送り届けることが出来た。
その間に、
いろんな話をした。
彼女は一人暮らしである
ということ。
(妹さんと住む予定だったけど
妹さんが急に友達と一緒に
寮生活に変更)
彼女は地元では有名な病院の
管理栄養士であるということ。
僕より3歳上であるということ。
名前は沙耶さんということ。
ドライブが好きだということ。
運動は苦手だということ。
他にもたくさん
話すことができて、
すごく楽しい時間を
過ごすことが出来た。
それからは母とも
親しくなって、
部屋も行き来する
すっかり仲良しの
お隣さん付きあいを
するようになった。
とりわけ、彼女の
お裾分けの料理は、
どれも味が絶妙で、
「さすが管理栄養士さんね!」
と、母はいつも感心していた。
母の故郷から
送られて来た
魚介類などを
お裾分けした時も、
色々な料理になって
返ってきたときは、
「こんなお嫁さん
もらえるかな!?」
と言って、母は
僕をからかったりした。
いよいよ、国家試験が
あと3ヶ月ほどとなって、
日々、追い込みの
過去問テストに
追われて、
慌ただしく
毎日が
過ぎ去っていた。
ある寒い日の夜、
母がトイレで、
「アッ」という
声を上げた。
「どうしたの?
大丈夫?」
と聞いてみると、
「大丈夫じゃないかも?」
と母が応えた。
それから30分ほどして
母は救急車で、
救急病院に運ばれた。
その総合病院は
母の持病の
かかりつけの病院で、
着いてすぐに、
様々な検査が行われた。
翌々日、
産婦人科の先生から、
「ステージ4の癌です。」
と言われた。
僕は一瞬、
頭が真っ白になった。
夢の中に
いるようだった。
しかし、
この時も母は、
気丈だった。
「治りますか?」
先生は言った。
「可能性はあります。」
そして、
子宮を摘出して、
その後に、
抗がん剤治療を、
と勧められた。
無事に摘出手術が終わり、
ある日、
母の病室に行くと、
病室に母の姿はなかった。
看護師さんに聞くと、
「リハビリ室ですよ!」
と教えてくれた。
摘出手術の後は、
身体を回復させる為に
なるべく運動を
しなければ
いけないらしい。
リハビリ室に向かった
ドアを開けると
正面に
母の姿が見えた。
歩行器に縋り、
顔を歪めながら、
懸命に歩を
進めようとする
母の姿があった。
目と目が合った。
母は一瞬
微笑んだ気がした。
母が立っている姿を
見るのは何年ぶりだろう?
真っ直ぐではなく
少し捩れたような
その立ち姿を見て、
居た堪れなくなって、
すぐに部屋を後にした。
階段を降りながら
何故か涙が溢れた。
普段、穏やかで
優しい微笑みの
印象しか
なかった母の、
あの鬼気迫る顔、
(あの病弱な母が、
癌と懸命に
闘っているのだと思うと)
涙が止まらなかった。
かつて父から、
「お母さんは、
病弱だけど、
お前が、
小学校卒業するまでは、
中学校卒業するまではって、
その都度、
新たな想いを支えに、
頑張ってるんだぞ!」
って言ってた言葉を思い出した。
溢れる涙が
止まらなくなった。
病院の中庭のベンチで、
気持ちを、
落ち着かせながら、
(お母さんは今、
僕が専門学校
卒業するまでは、、。
それとも国家試験
合格するまでは、、。
そんな想いを
支えにしてるのかな?)
そんな事を
考えていたら、
頑張らないとって、
ちょっと、
胸が締め付けられる
気持ちになった。
その日は、
まだ春の陽気には、
少し間がありそうな
ちょっと肌寒い
それでいて
梅の蕾が
少し顔を覗かせる
そんな麗かもどきの
よく晴れた日だった。
国家試験の合格発表日。
午後一時に、
インターネットで
リハビリ系全科一斉発表。
朝から緊張していた。
まさかの思いだった。
不合格だった。
合格ラインに
一点不足だった。
呆然としていた。
しばらくして、
部屋のチャイムが鳴った。
沙耶さんだった。
有給休暇を取って、
訪ねてきてくれた。
「ダメでした!」
ガックリと
肩を落として
僕は言った。
「うそ〜!」
と言って、
口を覆いながら、
沙耶さんが、
崩れ落ちた。
しばらくして、
気落ちしている
僕に向かって、
「お母さんの所に行こう!」と、
沙耶さんが元気な声で言った。
母は、抗がん剤治療の途中で、
リンパ節への転移が発見されて、
ずっと病院に入院中だった。
母は僕の顔を見るなり、
すべてを悟ったようで、
優しく微笑みながら、
「頑張ったんでしょ!」
と言ってまた、
優しく微笑んだ。
「ごめんお母さん!
ダメだった!
一点足りんかった!」
「あらまあ!」と言って、
ちょっぴり残念そうな
表情が窺えた。
「頑張ったんだからね!」
と言って、
慰めるような微笑みを
向けてくれた。
「一応は頑張ったんだけど!」
と、バツが悪そうに
僕が言うと、
「じゃあ、来年は、
一応じゃなくて、
一心に頑張らないとね!」
それで一点はクリア出来るね!」
と冗談を言って母は、
僕と沙耶さんの顔を
交互に見ながら、
優しい笑顔を見せてくれた。
それからしばらくして、
先生から、
余命宣告と、
緩和ケア治療の
説明を
受けることになった。
前篇終わり。
〈後篇に続く〉
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