「悩むな、考えよ」
〜黄昏て「言霊の木の言の葉」〜
暮らしの中での想い、
様々な気持ちや感情を綴った。
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〈病人にはならない〉
私は三つの難病と他にも病気をかかえている
毎日どこか痛い
恐ろしく激痛になることもある
あまりにも痛さに自然と涙がでる
そんな時リハビリの先生が言った
痛いのはマイナスばかりではない
萎縮していた筋肉が
元に戻ろうとしている時もある
私は少しでも身体が治ろうとしてくれている
時があることが嬉しかった
私は病気を持っているが病人にはならない
庭野節子詩集「ひとりではない」の中の一編
「病人にはならない」を詠んで、思わずしみじみと、
亡き妻のことを想い出している自分がいた。
妻も難病を抱え、長い間車椅子での生活を余儀なくされて、
時に激痛で顔を歪めることも少なくなかったけれども、
内心で、この詩の作者のような心境を抱いたり
していたのであろうかと、、、。
そのことは、今となっては窺い知ることも
出来はしないのだけれども、ただ言えることは、
世俗に塗れた凡俗凡庸なわたくしなどは、
いつも教えられ導かれていた。
いつもその境遇を悔やみもせず、嘆きもせず、
いつの時も明るく輝いていたその笑顔は、
ただただ尊い、我が家の観音菩薩のような、
そんな存在であった妻は〈釈然たる人〉であった。
「妻は病を持ってはいたが病人ではなかった!
俗に健常者といわれる私などよりも
遥かに強くて遥かに釈然としていた。」
〈もう少し〉庭野節子詩集「ひとりではない」より引用
〈もう少し〉
病気には”気”が大きくかかわっている
何かをしている時
「もう少し頑張ろう」とよく思う
そんな時に事故が多いようだ
その「もう少し」はその人の”欲”であって
神様から与えられた能力ではない
「自分はまだできる」と勘違いして
”欲”ばった結果
「もう少し」という”欲”になってでてくる
与えられている能力をできるだけ
使うことで充分である
もう「もう少し」頑張ろうは
私にはいらない