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黄昏読書時間

【本物の読書家】乗代雄介(著)書物への耽溺、言葉の探究、読むことへの畏怖。

”読書”は”心の樹”を立派に育てる!
本要約”読書の樹”で素早く養分吸収!
今回の”渚の風文庫”は
【本物の読書家】乗代雄介(著)
{書物への耽溺、言葉の探究、読むことへの畏怖}

【本物の読書家】乗代雄介(著)

本物の読書家とは何ぞや!という思いで、
てっきりHow to本だろうと思って、手にとってみたが、
しかしてその正体は、「野間文芸新人賞」を受賞している
しっかりと文芸小説でした。
日頃あまり小説なるものを読まない質の私としては、
少々面食らった感はありましたが、
ここはひとつ、騙されたと思って、
ページをめくり始めました。

久しぶりに小説なるものを読み始めましたが、
これがなかなか秀逸な展開で、
どんどん引き込まれていって、
当初の目的であった、「本物の読書家」とは?
のアンサーみたいなものが、
そのストーリーの随所に、登場人物の会話の中から、
砂の中の金を見つけるような趣きで、
読み終えてみると、そうか!と頷けるような、
そんな物語構成に唸らされた次第です。

〔物語概略〕

老人ホームに向かう独り身の大叔父に同行しての数時間の旅、
大叔父には、川端康成からの手紙を持っているという噂があった。
同じ車両に乗り合わせた謎の男に、
私の心は掻き乱されていく。
大変な読書家らしい男にのせられ、
大叔父が明かした驚くべき秘密とは。

甥っ子の私を中心に、大叔父、そして謎の男、
登場人物三人の会話で構成された、
「本物の読書家」とは?ミステリー

気になった文章まとめ

(甥っ子の私)
「ここでしばらく旅路を中断し、
男の口から出た、「読書家」について書いておきたい。

世間一般の言い方に当てはめるなら、
わたしはささやかな読書家ということで
間違いなかろうと思う。
しかし、読書家というのも所詮、
一部の本を読んだ者の変名に過ぎない。

(謎の男)
「一言で言えば、孤低の人生ですわ。
孤高の反対ですなー」と、
大叔父上の誘いを受けると、
わたしに細い流し目を送る。

太宰ですかとわたしが応じると、

「おとうさん、えわしはこないに人を信頼して、
頭に浮かんだことを
そのまま遠慮なしに口に出したことは
ついぞありませんわ。
「徒党について」いう太宰最晩年の
文章があるんですけども、

「私の現在の立場から言うならば、私は、
いい友達が欲しくてならぬけれども、
誰も私と遊んでくれないから、勢い
『孤低』にならざるを得ないのだ。
と言っても、それも嘘で、
私は私なりに、「徒党」の苦しさが予感せられ、
むしろ、『孤低』を選んだほうが、
それだって決して結構なものではないが、
むしろそのほうに住んでいたほうが、
気楽だと思われるから、
敢えて親友交歓を行わない
だけのことなのである。」

打って変わって狂い無い標準語で
暗唱されたこの文を
わたしは読んだ覚えがあった。
ほとんど誰も知ることのない
雑誌掲載の文章であるけれど、
わたしは男の信じがたい能力を
すでにやすやすと受け容れているのだ。

「波風立てんようにと思たら、
孤低で過ごす以外に手段はあらへん。
知っとることでも知らんように、
くだらんことならその逆も然り、
智に働けば角が立つ、
情に棹させば流される。
とかく住みにくい人の世に、
関わらんようじっと、
底に沈んどるのが孤低のたしなみでっしゃろ。」

(太宰の「如是我聞」の悪口雑言の中に、
「本を読まないと言うことは、
その人が孤独でないと言う証拠である」とある。

(たしかに、事実は小説より奇なり、である。
だが、それは小説というものが、
本当にそんなことがありえるかどうかを
無視できないからである。
その点事実は違う。
ありえるかどうかなど問題ではない。
実際に起こっているのだから。)

もちろん、本物の読書家たちは
そんな風に読みはしない。
つまり、「事実は小説よりも奇なり」とは、
本物の読書家がいつもの悪い癖で黙り込み、
じっと様子をうかがうことに終始した時に、
そこかしこで発生する突拍子のない
事実の玉突きと上滑りを間近で見ていた
二流の歴史家による
気が抜けた感想に過ぎない。

ABOUT ME
大塚文彰
・1958年生まれ ・孤低の黄昏ブロガー・趣味サーフィン(若い頃) 80年卒業後、薬品会社勤務の後83年脱サラ会社起業~現在に至る。傍ら縁あって出会った天風哲学を独学実践中!還暦を機に法人解散しフリーランス活動中。 60代一人暮らしを笑顔で暮らす。
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