ブルーに恋して
優しく、強く、晴れ晴れと、
⭐️潮騒詩集

【茨木のり子】「わたしが一番きれいだったとき」街々はがらがらと崩れていってとんでも

古今東西、多くの詩人たちの作品、
     〈潮騒の詩集〉

わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき

街々はがらがらと崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達が沢山死んだ

工場で 海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき

誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった

男たちは挙手の礼しか知らなくて

きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき

わたしの頭はからっぽで

わたしの心はかたくなで

手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争で負けた

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき

ラジオからはジャズが溢れた

禁煙を破ったときのようにくらくらしながら

わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん

わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた  できれば長生きすることに

年とってから凄く美しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのように ね

茨木のり子さんは、
1926年に大阪で生まれ
高校時代を愛知県で過ごし、
後に、上京して東邦大学薬学部に入学。

1945年に19歳で終戦を迎えた。

敗戦の混乱の中、帝劇で鑑賞した
シェークスピア「真夏の夜の夢」に感動し、
劇作家の道を目指す。

1950年(24歳)に結婚。
この頃から詩も書き始め、
1953年(27歳)に詩人仲間と
同人誌「櫂」(かい)を創刊。

1975年(49歳)、
四半世紀を共に暮らした夫が先立ち、
以降、31年間にわたる一人暮らしが
始まる。その後、弟が先に他界し、
かっての同人仲間が1人、2人と
世を去るのを見送った。

だが、彼女は孤独感をものともせず、
詩への創作意欲は衰えなかった。

2006年、自宅で脳動脈瘤破裂によって
急逝した彼女を、訪ねてきた親戚が発見する。

きっちりと生きることを心がけた彼女らしく
遺書が用意されていた。
「私の意志で、葬儀・お別れ会は致しません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、
弔意の品はお花も含め、
一切お送り下さいませんように。
返送の無礼を重ねるだけと存じますので。

”あの人も逝ったか”と一瞬、たったの一瞬
思い出して下さればそれで十分でございます」

この力強さ。享年79歳。

”わたしが一番きれいだったとき”

「茨木さんは、15歳で日米開戦、
19歳で終戦を迎えた。」

茨木のり子作品

ABOUT ME
大塚文彰
・1958年生まれ //・ブルー愛好家//・趣味〜サーフィン(若い頃) 80年卒業後、薬品会社勤務の後83年脱サラ会社起業~現在に至る。傍ら縁あって出会った天風哲学を独学実践中!還暦を機に法人解散しフリーランス活動中。 60代一人暮らしを笑顔で暮らす。
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