ひとりの詩人からは一つの作品だけを選んだ
〈潮騒詩選集〉
「雪の賦」
雪が降るとこのわたくしには、
人生が、
かなしくもうつくしいものにー
憂愁にみちたものに、
思へるのであった。
その雪は、
中世の、
暗いお城の塀にも降り、
大高源吾の頃にも降った・・・
幾多々々の孤児の手は、
そのためにかじかんで、
都会の夕べはそのために
十分悲しくあったのだ。
ロシアの田舎の別荘の、
矢来の彼方に見る雪は、
うんざりする程永遠で、
雪の降る日は高貴の夫人も、
ちっとは愚痴でもあろうと思はれ・・
雪が降るとこのわたくしには、
人生が、
かなしくもうつくしいものにー
憂愁にみちたものに、
思へるのであった。
{中原中也について}
文学史上に大きな足跡を残した
近代詩人中原中也は、
明治40〈1907〉年4月29日、
山口市湯田温泉に生まれました。
小学校高学年より短歌を制作、
雑誌や新聞の歌壇に投稿を始めます。
その後、ますます文学に熱中し、
立命館中学へ転校のため京都へ移り、
高橋新吉や冨永太郎の影響を受けて、
詩人としての人生を歩み始めます。
大正14〈1925〉年上京。
小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平
らを知り、昭和4〈1929〉年
友人たちと同人誌「白痴群」を創刊。
昭和9〈1934〉年には、
第一詩集「山羊の歌」を出版し、
詩壇に認められるに至りました。
昭和12〈1937〉年10月22日、
山口への帰郷を願いつつ、鎌倉の地で、
30年の短い生涯を閉じました。
その生涯を詩人として生き抜いた中也は、
珠玉の詩篇を後世に残し、
日本をはじめ海外にも知られ、
多くの人々に愛されています。
中也は、「雪」と「かなしみ」
が出会うとき、
自分はこの世の深みに
めぐりあう、と詠っています。
彼にとって「雪」は過去、
そして、永遠の世界への
入り口になっています。
「大高源吾」は赤穂浪士です。
忠臣蔵の討ち入り場面では、
雪が降っていた。
また、数行先では「雪」は、
孤児の手を寒さで赤く染め、
ロシアの田舎に降る雪は
「うんざりする程永遠」
だとも詠っています。
さらに中也は、
雪が降ると自分の人生は、
「かなしく」「うつくしいもの」
さらには、
「憂愁にみちたもの」
に感じられるといいます。
「かなし」という言葉は、
むかし、
「悲し」「哀し」だけでなく、
「愛し」「美し」と書いても、
「かなし」と読みました。
中也はこのことを知り、
また深く感じ、
さらにそこに、
「愁し」という表現を
加えました。
「かなしみ」とは、
単に悲痛の体験であるだけでなく、
それは「哀れ」俺はという感情を
呼び覚ます。
さらに、「かなしみ」とは、
愛するものとの別離を
経験したときに生まれるおもいで、
それは「美しく」もある。
「かなしみ」という感情は、
いつもこの五つの「おもい」
の色彩によって彩られている
と考えるべきなのでしょう。
〈詩と出会う・詩と生きる〉若松英輔(著)参照引用