生き方道標【要約文庫】
年齢を重ねても生きがいや誇りを
失うことなく美しく生きていく術「風姿花伝」
【風姿花伝】世阿弥(著)
一般に花伝書として知られる「風姿花伝」
亡父観阿弥の遺訓に基づく
世阿弥最初の能芸論書であり、
能楽の聖典として
連綿と読み継がれてきたもの
室町時代以後日本文学の根本精神を
生していた。
「幽玄」「物真似」の本義を
徹底的に論じている点で、
堂々たる芸術表現論として
今日もなお価値を失わぬものである。
【岩波文庫】
・世界最古の舞台芸術
「能」に関する奥義が秘められた
室町時代から伝わる古典的名作。
※競争社会の中で勝ち抜く戦略、
そして年齢を重ねても
生きがいや誇りを失うことなく
美しく生きていく術を教えてくれる作品。
能理論書であり、人生論書でもあり、
経営学書であり、哲学書でもある。
読む人の年齢、立場によって、
その表情を変える不思議な魅力の書。
「初心忘るべからず」
「あの人は華がある」
と言った言葉は、すべて、
世阿弥が生み出した言葉である。
天才的能楽師であるとともに、
新しい言葉を生み出す天才でもあった。
【作品の背景について】
「能」とは、
能面という仮面をつけて行う演劇。
・音楽と踊りと演劇を融合させた歌舞劇。
扱っているテーマは、
人間の怒り、苦しみ、哀しみといった側面になる。
社会の中で仲間外れにされたり、虐げたれたり、
重たい病気になったり、ひどく傷つけられたりして、
最期は非業の死を遂げてしまった。
そんな人間の救われない心、魂を鎮めるといった文脈が、
そこには流れているのです。
そして非業の最期を遂げてしまった人を、
もう一度現実の世界に蘇らせて、そして供養してあげる。
能には、そういった”弱きものに寄り添う精神”
優しさが根本にある。
※能楽(能と狂言)は扱うテーマは違うが、
ルーツは、奈良時代に中国から伝わった散楽と言われる。
散学というのは、綱渡りのような曲芸や歌謡や物真似を
したりする大衆芸能。それが日本に来ると、
演劇と融合されたり、様々な変遷の後、「猿楽」と呼ばれる
新たな芸能に変化していった。
室町時代になると、この「猿楽」は、
演劇の色合いがどんどん濃くなっていき、
やがて「猿楽能」と呼ばれるようになっていった。
室町時代には、京都周辺に「猿楽能一座」が
ひしめきあい、生き残りをかけている
そんな芸能サバイバル時代であった。
そんな中、お隣り奈良県に小さな猿楽能一座があった。
その棟梁を務めていたのが、世阿弥の父、観阿弥であった。
彼は天才的な役者で、その芸の評判は、
瞬く間に世間に広がっていき、
当時の奈良県内では収まりきれなくなる。
そして観阿弥はついに芸能のメッカ京都に進出する。
そして、室町幕府第三代将軍「足利義満」
の前で演じる機会を得るにまで至り、
その歴史的な舞台で、見事、賞賛を得た。
そしてその舞台で、最も魅了した役者が、
当時1弱冠2歳の鬼夜叉と呼ばれる一人の少年であった。
そして彼こそが、後に脳を大成することになる
天才能楽師世阿弥であった。
また当時の世阿弥少年は絶世の美少年であっただけでなく、
和歌も詠めるし、蹴鞠もできる、
貴族とも十分交流ができるだけの教養まで兼ね備えていた。
そんな少年時代の世阿弥は、とにかく華々しいものであった。
一座にとって「足利義満」は日本最強のパトロンであった。
それから約10年後、觀阿弥が五二歳で亡くなり、
当時二十二歳の若き世阿弥がついに一座を率いることになる。
そこからの世阿弥は現在まで演じられ続けているような
新らしい名作を次々に世に出します。(これが現在の能の素地となる)
ただそんな世阿弥には、一つ大きな悩みの種がありました。
それは子供がいなかったことによる、後継者問題です。
偉大な父、觀阿弥の教えを代々に引き継ぎたい。
そんな中世阿弥は自分の甥っ子を養子として迎え入れ、
そして30代を過ぎたあたりで、
自分が觀阿弥から学んだ事を、
そっくりそのまま代々に引き継ぐ事を本気で考え始め、
世阿弥はついに筆をとります。
自分の後継者のために、そして自分の家のために、
そして能という芸能を途絶えさせないために、
世阿弥は書き続けました。
そして何度も何度も直しては、また書き続けました。何年も。
そして世阿弥が五十六歳となった頃、20年以上という歳月を経て、
命をかけて紡いだ能楽の聖典がついに完成します。
その名は「風姿花伝」。
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1️⃣ 時分の花
2️⃣ 秘する花
3️⃣ 因果の花
〈世阿弥が生涯追求したとされる花とは?〉
1️⃣ 時分の花
時分の花は、誠の花ではない。
稚児や少年には華がある。
何を演じさせても、
人を魅了する美しさがある。
しかし、この子供たちが持つ華というのは、
永遠に咲き誇る誠の花ではない。
ほんのいっときだけしか咲かない
かりそめの花。
すなわち、時分の花である。
また20代半ばになると、
自分よりも実力が上、格上の相手を、
次々と打ち負かすことがある。
その結果、本人も周りから称賛を浴び、
思わず舞い上がってしまう。
自分はすごい人間であると勘違いをするのだ。
残念ながら、これも誠の花ではない。
若さゆえの美しさ、いずれ失われる時分の花なのだ。
この時期にどんな手柄をあげようとも、
名人に勝つようなことがあろうと、
これは誠の花ではない。
そうやって謙虚に自らを戒めなければ、
そこで成長は止まってしまう。
まだまだ自分は学ぶべきことがある。
そうやって色んな人に教えを請いながら、
自分を高めていかなければならない。
いっときの花を、自分の実力であると
勘違いしてしまう心が、
真実の花の心を遠ざけてしまうのだ。
30代半ばになれば、能役者として、
全盛を極める時期となる。
もしこの時期に名声を得ていないようであれば、
いかに芸達者であろうとも、それはまだ、
真実の花を会得しているとは言い難い。
押して今まで
四十歳を過ぎると、体力も衰えてくる。
それゆえ40過ぎの力量の衰え方を見れば、
その人間が真実の花を会得した人物であるかどうか、
一目瞭然なのだ。故に繰り返しになるが、
30代半ばまでが勝負。
それを肝に命じるのだ。そして今まで
どんな時間の過ごし方をしてきたのか、
そしてこれからどう過ごしていくのか、
この時期は自分自身をよくよく振り返り、
時間の使い方を考えておかなければならない。
そして40代半ばの頃となると、
役者として大きな転機を迎える。
歳をとるにつれ、昔あったような、
見た目の華やかさや魅力が落ちていく。
だがこれはもう、致し方のないことだ。
この場合は、若いものに花を持たせ、
無理せず自分に合った演じ方をすることが肝要だ。
自分はまだまだ出来ると、若者のように無理をしても、
側から見ればもう花は無くなっていることに
気付かねばならない。
五十歳近くになるまで花を持っているものは、
四十歳よりも前に、天下から名声を得ているものだ。
こういった名人こそ、己自身をよく心得ておいて
しかるべきであり、より一層若い者に
花を持たせるべきだろう。くれぐれも
自分の身を砕いて、我も負けじと、
若者と同じような演技をすべきではない。
自分自身の身の状態をよく認識し、
いま自分が何をすべきか理解している
それこそが本物の名人なのだ。
そして50を越え、いよいよ高齢になったら、
何もしないという以外に手立てが失くなってくる。
”麒麟も老いては駑馬に劣る”という諺があるだろう。
いかに優れた人物も、歳をとれば、
普通の人にも勝てないということだ。
しかし本当に優れた役者であれば、
見所は少なくなっても、尚、華が残っているものだ。
我が父、観阿弥は52歳の時にこの世を去ったが、
亡くなる直前に駿河国の浅間神社で能を奉った、
その日の猿楽は誠に華やかであり、
身分の高い者低い者、一堂になって称賛した、
これは即ち、我が父觀阿弥が真実の花を
会得していたからに他ならない。
たとえ枝葉が少なくなった老いた木になったとしても、
花は残る。私はその姿を確かにこの目で見届けたのだ。
〈年齢に応じた仕事への向き合い方がある。〉
2️⃣ 秘する花
まず花というものは、四季折々に咲くものである。
それを見ることで私たちは、もう春か、もう冬かと、
季節を知り、そしてまたその花を美しいと感じる。
つまり能についても、この道理が当てはまるのだ。
人間の心に浮かび上がる、あ〜珍しいという気持ち。
物事を、あ〜面白いと思う気持ち、
これは本質的に同じものだ。
花、そして面白い、珍しい、これら三つはすべて、
同じ心から発せられているものなのだ。
花というものは、永遠には生きられない。
必ず散る。しかし、散るからこそ、
そしてまた咲くからこそ、たまらなく面白く珍しいのだ。
能は決して一つのところに留まり続けるものではない。
次々と新しいものに変化していく。
だから人はそれを面白い、珍しいと感じる。
それこそが花というものなのだ。
そしてもう一つ、秘する花について知っておいてほしい。
秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず。
つまり秘めているからこそ、それが花になるのだ。
もそそれを公の場に晒し、手の内を明かしてしまえば、
それはもはや花ではない。秘めるか秘めないか、
この境目は極めて重要だということを心に留めておくのだ。
これは何も能に限ったことではない。
あらゆる諸芸能において秘め事というものがある。
それは秘めておくことそれ自体に大きな意味があるからだ。
ある者は、そんなものを内緒にして一体何になる
と言うかもしれない。しかしそれは物事を秘める事の
真の意味を理解していないのだ。
見ている側にこちら側の演出、演技その手の内全てが
悟られていたらどうだろう。
相手の心の中に珍しい、面白い、そういった感情が
果たして湧くだろうか。
だから見てくれている相手のためにも、
どこに花があるのかは、こちらが意図して
伏せておかなければならない。
それによって演技を見る者は、
あ〜今回はそう来たかと驚き、感心し、
面白い、珍しいと感じ取ってくれる。
そしてそれがまた、演者にとっての花にもなるのだ。
この秘せる花というのは、あらゆる勝負事の法則でもある。
例えば強い者が弱い者に負ける時、
そんな手を使ってきたかと驚かされることがあるだろう。
知っておけば何てことはない。しかし、
知らなかったがゆえに負けてしまう。
物事の勝ち負けとは、こういった秘めるか秘めないかで
決まったりするものなのだ。
3️⃣ 因果の花
この世の一切は、原因があり、そして結果がある。
例えば幼少期から稽古を積み、それによって
名声を得たのであれば、それは数々の稽古を積んできた
歴史が原因であって、名声というのはその結果だ。
したがって良い結果を得たくば、その原因をよく
見つめなければならない。
ただ時の運というのも、結果に大きな影響を与える
重大な要素と言える。
去年は良かったけど、今年はまったくダメだった。
そういったことは実際にはよくあるものだ。
こういった時の運というのは、我々人間の力の及ばぬ
範囲のものである。
しかしそういったことが現実にはよくあるということは、
まずもって頭の中に入れておくべきだろう。
誰だって調子がいい時、悪い時はあるが、
仮に悪い時に勝負しなければならない時があったとしよう、
この場合、自分にとって、最重要な勝負でないならば、
あえて力を抜き、勝敗を気にしないことだ。
もしかしたら周りは、一体どうしたものかと不思議に
思うかもしれないし、呆れてしまうかもしれない。
しかしやがてここぞという大一番が来たら、
一気に力を入れ、自分の強みを発揮するのだ。
興醒めしていた周りの人間たちも、
あ〜そう来たかと驚かされ、最終的に
勝利を掴むことが出来るだろう。
つまりこれが、珍しい、面白いという、
秘せる花の成せる技なのだ。
そして、調子が悪かったという原因が
かえって良い結果を生むという因果の花の
意味するところなのだ。
善も悪も本来別物ではなく、
つきつめれば同じである。
そう言った区別は何によって定めるべきであろうか、
ただその時代の流れや常識、タイミングや人の好み、
様々なことの巡り合わせによるものだけなのかもしれない。
であれば、その時の大方の好みに応じて、
その時にふさわしい演じ方をするべきであろう。
つまり相手の心に合わせて、その時々に応じて、
最も適切なものを用いること。
これもまた花なのである。
何とこの「風姿花伝」、
明治時代になるまで、その存在すら
明かされていませんでした。
知っていたのは、徳川家康といった
将軍クラス、あとは能の継承者だけだそうです。
つまり、世阿弥が遺してから400年大切に
守られてきた一子相伝の秘伝の書になります。
そして今能楽は、観阿弥、世阿弥の意思を継ぎ、
世界最古の舞台芸術として、
およそ700年という堂々たる歴史を築いています。