ひとりの詩人からは一つの作品だけを選んだ
〈潮騒詩選集〉
だましてください言葉やさしく
だましてください言葉やさしく
よろこばせてくださいあたたかい声で。
世慣れぬわたしの心いれをも
うけてください、ほめてください。
あゝあなたには誰よりも私が要ると
感謝のほほえみでだましてください。
その時私は、
思いあがって傲慢になるでしょうか
いえいえ私は
やわらかい蔓草のようにそれを捕へて
それを力に立ち上りましょう。
もっともっとやさしくなりましょう。
もっともっと美しく
心ききたる女子になりましょう。
あゝ私はあまりにも荒地にそだちました。
飢えた心にせめて一つほしいものは
私があなたによろこばれると
そう考えるよろこびです。
あけがたの露やそよかぜほどにも
あなたにそれが判ってくだされば
私の瞳はいきいきと若くなりましょう。
うれしさに涙をいっぱいためながら
だまされてだまされてゆたかになりましょう。
目かくしのの鬼を導くように
あゝ私をやさしい拍手で導いてください。
〈詩の解釈一例〉
人は皆、自分の意志だけでは
生き続けていくことはできない。
誰かに必要だと言ってもらわなくてはならない。
たとえ、それが本心でなくても、
その言葉があれば、
今日を生き抜くことができる。
生の絶壁にある者のうめきのような、
言葉に飢えた者の祈りの詩のような、
人生の危機にある時、
人は次の瞬間を待つことができなくなる。
待つことができれば、
生き続けることができる。
「だまされて」いるとしても、
胸にわずかな火をもたらす
言葉に飢えた者にとってそれは、
今、ここになくてはならない何かである。
ただ、「あなた」という言葉の奥に、
人間を超えたものの姿を見るとしたら、
その印象は違ったものになってきます。
個人的な「私」に留まることのない
「私」を包みつつ、「私」を超えていく「わたし」。
一見、恋愛詩のようで、よくよく一つ一つの言葉の
解釈を様々に置き換えてみると、
それはまた全く違う様相の詩が浮かび上がってきます。
〈永瀬清子について〉
明治39年、岡山県に生を受けた詩人。
(1906年〜1995年)。
家族の転勤で金沢、名古屋、東京で暮らし、
昭和20年、戦火を逃れ、岡山県赤磐市の生家へ、
田畑を耕し、子育てをしながら、詩作を続けました。
現在詩の母と評される、また宮沢賢治の遺稿の中から、
「雨ニモマケズ」を見つけ出したエピソードは
あまりにも有名ですが、ハンセン病患者の隔離施設(当時)がある
長島(岡山県瀬戸内市)へ通い、40年に渡り患者たちに
詩作の指導を続けたことでも知られています。
女性が社会の中で生きることが、今よりまだ困難だった時代に、
自らの生活感をベースに、女性を応援し、勇気づける詩を、
書き続けた永瀬清子さん。そのことばは、
今なお瑞々しく私たちのこころに響きます。