スポンサーリンク
〈黄昏色コラム〉
さざ波のような日々に、
スローに波乗りする気分で書く
エッセイのようなもの。
若松英輔(著)「井筒俊彦入門」よりの引用で、
「コトバ」の定義をここで記しておきたい。
「コトバについて」
井筒俊彦が「コトバ」という述語を用いるのは、
「意識と本質ー精神的東洋を索めて」(1983年)
以後である。
この一語こそ、井筒俊彦の哲学を読み解く、
最も重要な概念となる。
「コトバ」は言語学でいう言葉、
その意味は、深く東洋の伝統に基づいている。
ある日、井筒俊彦は、
新約聖書ヨハネの福音書、最初の一節に出会う。
「太切にコトバがあった。
コトバは神のもとにあった。
というより、コトバは神であったのだ。」
歴史に名を残した哲学者は、
自らの分身ともいうべき
命題を残すことがある。
「汝自身を知れ」とソクラテス、
「われ考えるゆえにわれあり」
とデカルト、
「存在はコトバである」
井筒俊彦の哲学はこの一節に象徴される。
井筒俊彦が最も愛した
イスラームの神秘家イブン・アラビーがいう
「存在」とは、万物の始原であるとともに、
不断の創造を続ける超越的実在、
井筒俊彦がいう「存在」は、
それを継承している。
先の参議院選挙で、
スポンサーリンク
スポンサーリンク