先程のことです。
今日の夜の献立の買い出しにスーパーへ、
限りなく小さな暮らしを標榜する私ですが、
夜の買い出し予算を500円以内を目途に、
あ〜今日は200円オーバーだったな、
なんてことを考えながら、スーパーから
家へとつづく坂道を登っている途中、
味噌汁の具材をあれこれ思案中のこと、
タマネギ、ごぼう、豚ロース薄切り肉、
何かボリューム不足かな、なんて思って、
もやしが足りないと思い立ち引き返す。笑。
坂道を下りはじめてふと前方から、
中腰で必死に自転車を漕いで登ってくる若者、
「若いっていいなあ!」なんて思いながら、
姿勢を正しつつゆっくり下りを歩く黄昏老人。
そしてすれ違いざま、「カタンコトン」、
それはたしかに若者の漕ぐ自転車辺りから聞こえた。
二、三歩下ってたしかにそこには小さな四角い物体が、
登りの勢いですでに10メートル程先に行った若者も、
何かを落としたことに気付いた気配はしています。
さりげなくその物体を拾うとそれは、この暑さで、
溶けて柔らかくなったアイスクリームだった。
慌てて下ってきた若者に、そっと笑顔で爽やかに、
手渡すわたしにその若者は、ちょっと戸惑いがちに
ただ受け取るだけのリアクション、、。苦笑。
知らないふりをして通り過ぎていた方が良かったのかな。
なんてことをその一瞬に思ってみたりして、
でも当方、黄昏の老人にとっては、一瞬の刹那の、
「あっ!すいません!」なり「ありがとうございます」なり、
その一瞬の善意のコミュニケーションが貴重な出来事として、
日々のうっかりすると誰とも会話のないままに過ぎるやも知れぬ、
そんな日常の中の貴重な出来事たるや知れないからして、
ついつい出しゃばりコミュニケーションの勇み足みたいな、、。笑。
そんなことを考えながら、無事にモヤシを買い足して帰り道、
その坂道を登りながら、
「そう言えば息子も、そんな時期があったな、」なんて、
今はもう、素敵な伴侶と日々楽しそうに過ごして、
それこそ小中高学生時代のスポーツマンらしい、
明るく元気に暮らしているのだけれども、
社会に出る直前の浪人時代は、
普段の会話がテーブルを挟んで聞き取りにくい程の、
聞き返さなくては真意が汲み取りにくい程の小声で、
ちょっと心配になった時期もあったのだけれど、
「自信というものを見失ってる時期」なんだろうなって、
敢えてなんでもない風を装いながら接した時期は、
ちょっぴり親としても辛い時期ではあったなあ、なんて、
そんなこんなを帰り道を登りながら、あの若者も、
「いろいろあるんだろうなって」、
だから一概に人生の断片だけを切り取って、
「あの人はコミュ障だから」なんて決め付ける愚は、
ゆめゆめあってはならない事なんだよな。
「人生は坂道だけらけだけど、登りも下りも
良く味わって姿勢を正して歩んでいかないとね!」
なんてことを思ってみた黄昏の老人でした。笑。