このところ、ずっとこの「笑顔で暮らそう」では、
例の北の大地で繰り広げられている惨状のことを、
どうしても書いてしまっている気がします。
そうです季節は巡って、やっと桜の花も咲いて、
世間ではお花見シーズン真っ盛りに入ってるというのに、
わたしは今日もこの文章の冒頭で、異国で起きているあの
忌まわしい惨状のことから書き始めてしまいました。
それほどにこの遠く離れた異国の地にいても、
このインターネット全盛の時代ですから、
否が応にもその惨状は漏れ伝わって来ますし、
そしてその情報は、否が応にも脳裏に焼き付いて、
負の感情として刻み込まれてしまいます。
かの中村天風翁は、
自分自身の観念や思想は、
外界から受け入れた事柄によって出来上がるのであって、
自分自身の周囲に存在するありとあらゆる事物、
事象というものは、精神に対しての栄養物なんだと理解して、
肉体に栄養物を取り入れるとき同様に、
これは取り入れて良いものか悪いものか、
よくよく吟味して用心しなければならない。
とこういう風に語っていますが、
天風翁がこの言葉を残された時代、
さすがに大正、明治時代と比べてみるときに、
その情報化社会としての進化は凄まじく、
もう好むと好まざるとにかかわらず、
その精神への”負の栄養物”は、
一気に心の中に侵入して来て、
いつの間にかずっとこころの重い状態が、
続いているというのがいまの状態なので、
それがそのまま悪く反映される形で、
この「自由にエッセイ」においても、
どうしても綴ってしまっている自分が
情けなくも悲しくもここにいます。
ですから今日は、強引にでも何でも、
こころの晴れやかな気分になれるような話題を、
ここからは書き綴っていこうと思っています。
という事でここから話題を転換いたしますが、
すぐそばに住んでいながら、
日頃なかなか会って話す機会の少ないご近所さんの話題、
そのご近所さん、ご主人は単身赴任で、お母さんと、
美人姉妹の三人家族で生活されているのですが、
たまたま今日、日常の買い物に出た折にお会いして、
久しぶりにお話しする機会に恵まれて、
何とも明るい三人家族で美人揃い故に、
老いてのロンリーライフのわたくしにとっては、
何とも心地良い時間となったのは言うまでもなく。
何でも、今週は、小学生の妹さんが明日入学式、
そして中学生のお姉さんの方が明後日入学式との事、
そんな他愛もない会話ひとつだったけれども、
心の中に入学式の晴れやかな情景が映し出されて、
その会話の空間はとても明るさに満ち溢れた空間となって、
日頃の老いてのロンリーライフ、
あまり人と出会って話す事も少なくなった身の上には、
格別の春到来という、そんなひと時を味わったのでした。
やはり人と出逢う事は大切な事なんだなと、
あらためて思い知らされたひと時を味わって、
部屋に帰って、玄関横の壁に貼ってある「我逢人」の言葉を、
マジマジと見つめ直した今日という日でありました。