中村天風&池田晶子
怒らず、恐れず、悲しまず、〜悩むな考えよ。
黄昏の読書

【手から手へ】詩 池井昌樹 写真 植田正治 企画構成 山本純司 「やさしいちちとやさしいははとのあいだにうまれた

ひとりの詩人からは一つの作品だけを選んだ
〈潮騒詩選集〉

手から手へ〕

 

やさしいちちと

やさしいははとのあいだにうまれた

おまえたちは

やさしい子だから

おまえたちは

不幸な生をあゆむのだろう

やさしいちちと

やさしいははから

やさしさだけをてわたされ

とまどいながら

石ころだらけな

けわしい道をあゆむのだろう

どんなにやさしいちちははも

おまえたちとは一緒に行けない

どこかへ

やがてはかえるのだから

やがてはかえってしまうのだから

たすけてやれない

なにひとつ

たすけてやれない

そこからは

たったひとり

まだあどけない笑顔にむかって

やさしいちちと

やさしいははとは

うちあけようもないのだけれども

いまはにおやかなその頬が痩け

その澄んだ瞳の凍りつく日がおとずれても

怯んではならぬ

憎んではならぬ

悔いてはならぬ

やさしい子らよ

おぼえておおき

やさしさは

このちちよりも

このははよりもとおくから

受け継がれてきた

ちまみれなばとんなのだから

てわたすときがくるまでは

けっしててばなしてはならぬ

まだあどけないえがおにむかって

うちあけようもないのだけれど

やさしいちちと

やさしいははとがちをわけた

やさしい子らよ

おぼえておおき

やさしさを捨てたくなったり

どこかへ置いて行きたくなったり

またそうしなければあゆめないほど

そのやさしさがおもたくなったら

そのやさしさがくるしくなったら

そのときには

ひかりのほうをむいていよ

いないいないばあ

おまえたちを

こころゆくまでえがおでいさせた

ひかりのほうをむいていよ

このちちよりも

このははよりもとおくから

射し込んでくる

一条の

ひかりから眼をそむけずにいよ

【手から手へ】

池井昌樹

1953年香川県生まれ。
77年、第一詩集「理科系の路地まで」を刊行。
以来16冊の単行詩集のほか、
選詩集「現在詩文庫 池井昌樹詩集」がある。
詩集「晴夜」にて藤村記念歴程賞、
芸術選奨文部大臣新人賞(97年)を受賞。
99年「月下の一群」で現在詩花椿賞、
2007年「童子」で詩歌文学館賞、
2009年「眠れる旅人」で三好達治賞を受賞した。

植田正治
1913−2000年。鳥取県生まれ。
中学三年生で初めてのカメラを手にして以来、
写真の道にのめり込み、
19歳で郷里に写真館を開業。
同時にカメラ雑誌の月例応募で
入選を繰り返して頭角を現す。
近所の砂浜や鳥取砂丘を舞台にした
独自の演出写真は、時空を超えた
不思議な空間として、
現在も世界の人々を魅了し、作品の多くは、
鳥取県柏耆町にある
「植田正治写真美術館」に収蔵されている。

山本純司
1950年東京都生まれ。
73年集英社に入社。
雑誌りぼんで漫画スクールを担当。
さくらももこ、矢沢あい、岡田あ〜みん他を世に送り出す。
満点ゲットシリーズを企画編集。
「ここが家だーベン・シャーンの第五福竜丸」
(2007年、日本絵本賞受賞)を企画編集。
「ひろしま」
(2008年、毎日芸術賞受賞)を企画編集。
2011年集英社を定年退職。

ある雑誌で、俳人の俵万智さんが、
この詩集写真絵本「手から手へ」を
大絶賛されているのを知って、
さっそく書店で購入して
読んだ時の衝撃は今でも鮮明に
記憶に残っています。

わたしを詩の世界に導いてくれた
とっておきの一冊となりました。

ABOUT ME
文章fumiaki
・1958年生まれ たそがれヤモメ・趣味〜サーフィン(若い頃) 80年卒業後、薬品会社勤務の後83年脱サラ会社起業~現在に至る。傍ら縁あって出会った天風哲学を独学実践。還暦を機に法人解散しフリーランス活動中。 海とトラッドを愛し笑顔で暮らす。
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