理不尽で不毛な戦闘の続く中、
北京の地において、
ウクライナのパラリンピアン達の、
勇気に満ちた聖戦は続いています。
中西麻耶さんは、
テニスで国体を目指していた2006年、
21才の時に、
仕事中の事故によって右脚下腿切断という大怪我を負う。
高校時代はソフトテニスで、
インターハイ、国体出場等、
その才能を遺憾なく発揮し、
スポーツに明け暮れていた彼女にとって、
>人生最大の挫折が、突然、彼女の身に襲い掛かりました。
それは彼女にとって、想像を絶する苦難の日々となりました。
医師の宣告は、
「分断した骨や神経や筋肉をひとつづつ繋いでいく治療は
最低でも2~3年の入院が必要であり、
もし順調に回復したとしても
100%の体重を支えられるところまでの回復は無理だろう。」
というものでした。彼女は尋ねました。
「義足になってもスポーツは続けられますか?」
それに対する医師の答えは、
「可能性はある。しかし相当の努力が必要になるでしょう。」
そんな失意の中で彼女は、
事故の起きたその日のうちに決断しました。
自分の足を切断することを。決断の理由は、
「自分の努力でなんとかなるなら、そちら(切断)の道を選ぼう。」
そして、ある「義足」との出会いによって、
大きな希望を掴むこととなります。
その「義足」とは、「血の通った義足を作る」を信念とする、
情念あふれる技巧を駆使する義肢装具士の臼井二美男の作った「義足」です。
その義足によって新たな生を獲得した彼女は言います。
「義足を履いて、数ヶ月ぶりに風を感じて走ることができた時の感動は、
言葉では言い表せないほどの感動でした。」
その後の彼女のパラ競技での困難と挫折の中での著しい活躍は、
常人でははかり知れない努力の賜物です。
彼女は言います。「私がずっとやり続けてきたことは、
「勇気を出す努力」です。
これには才能も何も要らないんです。
今日からすぐ出来るんです。彼女の生き様に感動し、
勇気をもらいました!
中西麻耶さん!
東京パラリンピックの表彰台に立つ姿を
期待してやみませんでしたが、、、。