【寄り添うコトバ】
人間の肉体が「存在」の一部分でしかないように、
言語は、「言葉」の一形態でしかない。
言語でもありながら、
姿を定めずに私たちの前に顕れる「言葉」を、
ここでは「コトバ」と書くことにする。
コトバは言語でもあり得るが、
ときに色であり、
音であり、
また芳香あるいは、
かたちでもある。
温かみや寄り添う感触、
不可視な存在感として
感じられることもあるだろう。
苦しいとき、悲しいとき、
希望を見失ったとき、
コトバは、魂にふれる
触手のようなものとして経験される。
このとき私たちは単に、
ある人のいったことを
思い出しているのではないだろう。
コトバが自分の近くに寄り添うように
感じられたことはないだろうか。
すでに逝き、
この世にいないはずの人が、
コトバとなって共に生きている。
と思われたことはないだろうか。
コトバをめぐって、
池田晶子はこう書いている。
死の床にある人、絶望の底にある人を
救うことができるのは、
医療ではなくて言葉である。
宗教でもなくて、言葉である。
共に居て、共に感じ、語り合う。
語ることがなければ、
語ることもなく、
そんなふうにして通じ合ってゆくことが、
言ってみれば「救い」という
そのことなのだろう。
〈あたりまえなことばかり〉池田晶子
困難があり、それを単に解消することが
「救い」なのではない。
むしろ、避けがたい人生の経験を前にしながら、
それを生き抜く道程の
「同伴者」であることが「救い」となる。
「救う」とは、寄り添うこと、
共に生きることだと彼女はいう。
〈不滅の哲学・池田晶子〉若松英輔(著)
withウイズ・ラボlabo,
「寄り添うコトバ」の、
研究室であり実験室、
そして製作室、、、。