
大学4年生の時に、
「遠位型ミオパチー」という、
あまり一般には聞き慣れない難病、
全身の筋肉が消えていく進行性の筋疾患、
それは、やがて寝たきりになるという、
とても過酷な病気であると診断されて、
その時ご自身は、
難病患者、障害者は誰も望んでなるものではないけれど、
しかし、泣き喚いて病気が治るのならいくらでも泣きますが、
泣いたって何も変わるわけではない。決して、
悲劇のヒロインにはなりたくないと懸命に堪えられました。
そんな中、当時お付き合いされていたボーイフレンドは、
彼女が不治の病であると知った上で結婚を決意されます。
そして、ご自身が25才の時にご夫婦は、
彼女が寝たきりになってしまうことを覚悟されて出産を決意されます。
そして無事に男児を授かり、
以後、愛する家族の支えの中、
いまだに治療法の見つからない不治の病(遠位型ミオパチー)と闘いながら、
障害者であり、難病患者の当事者としての立場から、
「遠位型ミオパチー患者会」の発足に尽力されたり、
世界でも初となる治療薬の開発へ向けての活動等を
精力的に展開されています。
ご自身は病気を使命ととらえて、
「心さえ負けなければ、大丈夫!」の信念のもと、
数々の試練を乗り越えながら、
自身の置かれた立場の中、
「ハートのバリアフリー」の重要性を訴えながら、
バリアフリー情報サイト「車椅子ウオーカー」の運営や、
健常者も障害者も互いに認め合い安心できる世の中を目指して、
行政と向き合い、
勇気を奮い起こして挑戦を続けられています。