老いてこそ「ドリームキラー」になるべからず。
まず、自分自身の夢遍歴を振り返ってみる。
おそらくわたしの人生最初の夢らしきものは、
小学生高学年か中学生になったばかりの頃、
「落語家になりたい。」これがおそらく、
わたしの人生最初の夢であったような気がする。
九州の真ん中にある山脈の麓の鄙びた温泉地で、
まだイガグリ頭の鼻垂れ少年が、何を思ったか、
テレビの中の落語家に、いずれ弟子入りして
いつか落語家になってみたい。
そんなことを思っていたことの記憶は、
何故か今も鮮明に覚えている。笑。
まあでも、そう思ったからといって、
半歩でも一歩でも足を前に進めたかというと、
そんな記憶はまったくないので、
おそらく何となくの域は出なかったと思われるが。
あの山間の温泉街の一角にある自宅の二階の自室で、
窓から見える田園風景を眺めながら、
何故かテレビの中の落語家に憧れた鼻垂れ少年が、
何となく今は愛おしい。苦笑。
もしかして本気で夢見ていたなら、今頃、「師匠」、
なんて呼ばれていたかもだけど、たぶんだけど、
おふくろに、「落語家になろうかな?」くらいは、
言っていたかもしれないけど、たぶんだけど、
「またバカなこと言いよん!」の一言で、
その儚い夢は消え去ったと思われます。笑。
その当時、「ドリームキラー」なんて言葉は、
おそらく無かったと思われるけど、
世間は「ドリームキラー」だらけだったと思う。笑。
実はこの「ドリームキラー」と言う言葉、
最近覚えた言葉なんだけれども、
人の夢や希望を邪魔する存在のことを言うらしく、
否定的な言葉によって、相手の夢や目標の邪魔をする
人たちのことを指すらしく、またそれは二種類に分類されて、
一つ目は、意識的ドリームキラーといわれ、
意地悪であなたを貶めようとしている人たち、
例えば、あなたをライバル視している人などが意識的ドリームキラー
になり得て、表面上は良い人を装っている可能性があるので、
ドリームキラーだとわかりにくい場合もあるようです。
そして二つ目は、無意識的ドリームキラーです。
これは自分では自覚がなく、相手の夢をつぶすような
発言を繰り返す人です。
例えば、あなたの親や先生、友人などの身近な人物が
このパターンになり得ます。
無意識的ドリームキラーは、あなたのことを本当に心配して
発言しています。決して悪意があってそのような行動を
しているわけではないのです。
おそらくわたしの幼い小さな夢も、
その無意識のドリームキラーの手によって、
一瞬で葬り去られたものと確信します。笑。
とまあ、今回、この「ドリームキラー」という言葉、
なにかの拍子にネット上で目にしたのですが、
目にしてすぐに、「これだったのか!」と、
ずっとわたしの心の中でわだかまっていた想いに、
ちょっと合点がいって、「人生の中の後悔の一つ」に、
「一つの解」が与えられたようで、少し心が軽くなった。
数ある後悔の中で、その「人生の中の後悔の一つ」は、
息子が中学生になってしばらくして、
「お見知り遠足」のあった夜のこと、
息子が「お父さん、中学では卓球部に入る」と、
「何で?」とわたし、
すると息子は「今日、顧問の先生と話した!」と、
そこでわたしは「それは止めたら!」と、
一つには、わたしの中で卓球に対するマイナー感(偏見)と、
小学校の間やっていたサッカーの仲間がいるサッカー部が
自然な流れじゃないのか?という親の感覚、
実はこのやりとりを、その後後悔することになろうとはこの時、
露ほどにも思ってはいなかったのですが、
しばらくしてから、あの時のわたしの対応は間違いだったのではないかと、
ずっと後悔の念に苛まれることになるわけですが、これこそが実は、
「無意識のドリームキラー」この解だったわけです。
今も随分と息子と会話するときは気を付けながら話してますが、
まだ時に、ササっと答えらしき事を言って、
後で、あれはちょっと、違ったかな?なんて事もあって、
まあそれも今回知った「ドリームキラー」という言葉、
これでようやく、肝に銘じられたような気がしているので、
もう「無意識のドリームキラー」になることも、
おそらくないと思われます。苦笑。
ところでおふくろは「無意識のドリームキラー」なんて、
知る事もないままに旅立ったんだろうな。
それはそれで幸せなこたなんだけれども。笑。