トラック⑫天風曰く
どうして心が有意実我鏡に入ると
神人冥合の基礎ができるか?
それはね、
宇宙の実相からいうと、
普通の場合、
普通の感覚している
ところのものは、
あれはみな真実の
ものじゃないんですよ。
目に見、耳に聞こえる
あらゆる森羅万象、
あれは真実の姿じゃ
ないんだぜ。
よく考えてごらん。
水や雪や霜や霞や氷で
考えてごらん。
これはみんな仮の姿で、
元はというと、ねぇ、
水素と酸素と窒素の
固まったものじゃないか。
ああいう微粒子が結合した
ものじゃないか。
それでいろいろの
結合の状態によって、
氷になったり、
雪になったり、
霞になったりしてる
んじゃないか。
もっとも普通の人は、
こう説明しても、
「ああ、そうか」と
納得できないのは、
前に申したとおり、
心のなかに雑念妄念という
妄想念があって、
それがその考え方を
迷わしちまうからです。
妄想念というものが
なぜあなた方を
迷わせるかというと、
雑念妄念という妄想念は、
いつも物事の仮相のみを
対象として
働いている心なんです。
少しも実相の世界のことは
考えない心なんです。
だから結果として、
いきおいその心を
逆動仮我鏡に
引き入れちまう。
となると、
哀れなもんになりますよ。
神人冥合どころか、
悪魔と仲間入りしたような
人間になっちまう。
そうすると人生は
いわゆる苦の娑婆という
ことになりますわ。
だから、
心おおらかな、
安らかなものに
なりたけりゃ、
一刻も早くこの妄想念という
自分を苦しめるものを
阻止しなきゃいけない。
すなわち、
霊性意識が妄想念を
除き去ってくれるために
発現してくりゃ、
もうしめたもの。
妄想念というのは、
肉性意識か心性意識から
発生してるんだよ、
霊性意識から
出てないのよ。
肉を本位として
体を本位に
働いている心か、
あるいは
理屈を本位に
働いている心から、
妄想念というのは
働きだすの。
霊性意識のなかから
働かないんだ。
だから、ね、
妄想念が
除き去られれば
霊性意識が
招かずして
発現してきて、
霊性意識が発現すりゃ、
そこに出てくるのが
「自覚正念」というのが
出てくるんです。
英語で言うと、
REALCONSCIOUSNESS.
日本語で言うと、
霊感って言うんですよ。
「自覚正念」
学問的で言うと自覚正念。
同じものなんですよ、
霊感も自覚正念も。
自覚正念が発現すると、
なんにも人に相談する
必要がない。もう、
人生は淡々たること、
何の故障もトラブルも
感じないで活きられる
ようになっちまう。
心を煩わすものが
なくなるから。
では、方法を教えましょう。
この方法はね、
インド山中の修行中に
ヒョイッと悟ったの。
それはね、
深山の特有とする
シーンとした
声のない声をフーと
聞いているうちに、
雑念妄念が取れて、
三昧の鏡に入れたことに
ヒントを得たんであります。
一日の心の疲れを休めるために、
寝る前でもいいから、
たとえ数分間でも、
やってごらん。
この修行を十年、二十年積むと、
あなた方はもう達人であり、
聖人であり、
哲人であります。
「神人冥合」完
無念無想=霊性意識の発現