【60代からの黄昏ひとり老後生き方指南】
「ガムシャラ人間の心得」佐藤愛子(著)愛子センセイ流「幸せのつかみ方」
私の50代は今から40年以上も前だ。
日本が高度経済成長に向かって駆け上っていき、
日本人の生活様式、生活感覚、価値観などが急激に変わり始めた時代である。
大正の末に生れ、日本が軍国主義に傾倒していく中で少女期を過ごし、
青春を戦争の中に埋没させ、敗戦後の混乱、貧困を生きてきた私にとっては、
その変わりようがどうにも納得出来ず気に入らないことばかり、
という日々だった。
私がメデイアから「男性評論家」(つまり男を論評する作家)という肩書きをつけられたのもその頃である。
論評などという上等なものではない。手当り次第に悪口をいいまくっていただけだったのだが、
その悪口がまだ通用する空気が社会には残っていた。
私は男は「男らしく」あらねばならぬという信念を持っていて、
従って男女平等には懐疑的だったのだ。
しかし現在は男女平等という言葉さえ古くさくなってしまった。
男も女もない。男は女のように、女は男のようになった。
今更平等という観念をふり廻したりする必要はなくなった。
時代は大雨の後の渓流のように流れていく。
その濁流に掉さして、仁王立ちで漕いでいた私も、
いつか少しずつ流されて、、、。 「前書き」より引用。
20歳で結婚し、夫の麻薬中毒のために二人の子供を婚家先に残して離婚し、
その結婚の失敗にこりた私は、
夫の出来によって幸、不幸が左右されるような女ではない女になりたいと思い、
それから売れない小説を10年間書くという情けない生活に入ったが、
その間、二度目の結婚をし、結婚11年目に夫の経営していた会社が倒産という大波をかぶり、
さんざん苦労してきて、
やっと原稿収入で生活出来るようになった矢先、
私の能力に比して重過ぎる借金を背負ってしまった。
私の亡父の好きな言葉に
「人は負けるとわかっていても戦わねばならぬ時がある」というバイロンの言葉がある。
「人は負けるとわかっていても戦わねばならぬ時がある」
実際、私はその通りだと思った。
私もそのように人生を歩みたいと考えた。
その言葉を発見した時は、私にはまだ倒産の嵐は襲ってはいなかったが、
その言葉はやがて私に苦難が襲ってきた時、
私の記憶の底から猛然と立ち上がってきて私を導き決断させたのであった。
「夫の借金を背負う。」
私は夫の借金を背負ったことを自慢たらしくいうつもりはない。
私のいいたいことは、
そういう一見不幸に見える現象でも必ずしも外から見えるほど不幸ではないということだ。
人間の幸、不幸は心の持ちよう一つだということなのである。
一章 自由でいたい 「幸、不幸は心の持ちよう一つ」より引用。
「著者紹介」佐藤 愛子(さとう あいこ)
大正12年、大阪に生れる。甲南高女卒。
昭和44年「戦いすんで日が暮れて」で第61回直木賞受賞、昭和54年「幸福の絵」で第18回女流文学賞受賞、平成12年「血脈」で第48回菊池寛賞受賞、平成27年「晩鐘」で第25回紫式部文学賞受賞。
最近では、「九十歳。何がめでたい」、「わが孫育て」、「我が老後」、などのベストセラー多数。
恥ずかしながら私、佐藤愛子センセイの著書を、今回初めて拝読させていただいた次第で、(苦笑)。
流石に直木賞作家の先生の筆致は素晴らしく、
心にまっすぐに入り込んでくる筆に驚嘆いたしました。
「人生の濁流に掉さして、仁王立ちで漕いで生きてこられた」
その生き様に深く感銘を受けました。