日本の最北東端。
そこには人々の開拓をまぬがれた
日本の秘境・世界自然遺産の知床半島、
そのまさに聖なる地において、今回、
哀しく切ない海難事故が起きてしまいました。
知床半島は、プレート運動や火山活動、
海蝕などによって、奇岩や海食崖、火山地形などの
様々な景色が見れる日本でもとても珍しい場所です。
そしてその知床半島全体を、沖を通って遊覧するのが、
今回、哀しくも海難事故に見舞われた知床遊覧船です。
実はこの遊覧船に、今から40数年前、
かくいうわたしも遊覧した経験があって、
何故か今回、とても他人事には思えない、
とても胸が締め付けられる思いに駆られています。
わたしが遊覧したのは、オホーツクの流氷も去って、
北の大地には、芝桜、ツツジ、ライラック、
スズランなどが一斉に咲きはじめた6月でしたが、
学生時代の想い出にと、バックパッキングで、
ヒッチハイクしながら周った北海道一周の旅、
苫小牧から、広大な日高を歩き眺めて、襟裳岬を経て、
当時流行していた幸福駅行きの列車に乗って北上、
そこから松山千春の故郷足寄の公園に泊まって、
(そう言えばこの足寄の公園で、
朝、ラジオ体操の掛け声に起こされて、
慌ててテントから飛び出したのはいい想い出です)
そこから阿寒湖・摩周湖の阿寒摩周国立公園を経て、
知床斜里町にたどり着いたとき、如何にもこうにも、
身体がいう事をきかなくなって、。おそらく、
それまで、持参していたインスタントラーメンばかりの
道行きでしたから、栄養失調ではないかなという事で、
斜里町にたどり着いてすぐに入ったのは食堂でした。
そこの女将さんが良い人で、座敷で横にならせてくれて、
今では何時間寝てたのかも記憶は定かではありませんが、
目覚めはスッキリしていた記憶だけは何となくあって、
すぐに女将さんが親子丼を食べさせてくれて、それで
やっと生き返った心持ちになって、それから乗ったのが、
今回、哀しい舞台となっている知床遊覧船ですから、
何故か他人事とは思えない、とても切ない気持ちになってしまいます。
この知床遊覧船、世界自然遺産の知床半島を、
海から眺める観光コースで、斜里町ウトロを発着として、
秘境・知床半島を沖から眺める周遊コースで、
途中、滝や奇岩、
もちろんこの知床半島には多様な野生動物が生息していますので、
ヒグマの親子が戯れていたり、オジロワシが優雅に舞っていたり、
ウミウが魚を捕るのに海に潜ったり、濡れた羽を、
岩場で乾かしていたり、
ケイマフリという赤い足の珍しい鳥もいたり、
トドが岩場で休憩していたり、イルカがジャンプしたり、
もちろんくじらもいたりと、陸・海・空の多種多様な
野生生物たちの楽園が知床半島です。
そんな本来、穏やかな時が流れる知床の海で、
とても哀しくも切ない事故が起きてしまって、
多くの人たちの哀悼の眼差しが注がれる、
悲哀の海となってしまっています。
多くの犠牲となった方々の御霊が安らかならん事を、
心からお祈りすることしか出来えませんが、 合掌。