運命を拓く不滅の哲学
怒らず、恐れず、悲しまず、 正直、親切、愉快に、
⭐️波乗り天風

【運命を拓く・天風瞑想録】心の運用を良くしたり悪くしたりすることによって、人生は良くもなり悪くもなる。

〰︎波乗り天風〰︎

人生は、事なき日ばかりが続く訳ではなく、

次々に波や風は訪れる。よって、

天の風(天風哲学)に乗って、

幸運の波に乗って行く〰︎波乗り天風〰︎

 

 

〈運命を拓く・天風瞑想録〉ナルー流超要約・パドリング編

 

天風小伝

ーまえがきに代えてー

 

財団法人天風会会長
医学博士 杉山彦一

 

人は自分の体験と学問の範囲でものをいう。

 

範囲を超えたことに遭遇すると人は、

 

うそ(否定)、ほんと?(疑惑)、

 

信じられない(不信)と、

 

拒絶的態度に出る。

 

中村天風という人物は、

 

われわれの日常的な体験や

 

学校で教える学問の領域を、

 

はるかに超えている。

 

中村天風と遭遇した時、

 

あなたは、

 

どんな態度に出るか。

 

拒否か、

 

それとも信服か、

 

私は関心をもつ。

 

明治九年、東京・王子の、

中村家に三番目の男子誕生

三郎と名付けられた。

その生涯は、

誰の追随も許さない過酷、

波乱の半生となり、

後年は、中村天風という

迫力ある指導者として、

世の人々の敬慕してやまない

大人物になるという特異な

人生を生きることになるのである。

 

「くそ一番、負けるものか」

という激しい気性、

「徹底的に、とことんまでつきつめる」

徹底性、

両親の手に負えぬ三郎は、

小学校を卒えるとすぐ、

福岡の知人の家に預けられる。

中学は修猷館に通学、

そこでも三郎の粗暴な行動は続き、

中学三年の時、柔道試合の遺恨から、

出刃包丁を持った中学生ともみ合ううちに、

出刃包丁は相手の腹に突き刺さった。

中学生は死亡した。

取調べの結果、

三郎は正当防衛で釈放されたが、

修猷館は退学となった。

ここで三郎は、

福岡の壮士の集団である

玄洋社に預けられる。

荒くれ男のぶつかりあう

玄洋社の気風は、

激しい気性の三郎には、

程よい環境であった。

三郎はここで、

巨大な人物、

頭山満に出会うのである。

 

人生は、

誰とめぐりあうかによって、

決まるといってよい。

誰の言うこともきかぬ、

激しい気性の三郎が、

心から心服し、

尊敬した人物が、

頭山満であった。

三郎は終生、

頭山満を師と仰いだ。

 

ある日のこと、

河野金吉という陸軍中佐が、

玄洋社を訪れてきた。

「日本と清国(中国)の間に、

戦が起る気配がある。

今のうちに遼東半島の

視察旅行(実はスパイ)をしたい。

鞄持ちが一人欲しい。

命知らずの若い者は居ないか」

即座に、武術ができて、

俊敏な三郎が選ばれた。

三郎十七歳の頃である。

後の日清戦争、日露戦争と、

三郎は軍事探偵として、

すさまじい程の活躍をする。

勝利のうちに幕を閉じた

日露戦争の後、三郎は、

しきりに咳をするようになり、

ついに血を吐いた。

奔馬性結核と診断された。

当時の肺結核は、

死病とも言われ、

的確な治療薬はなかった。

名医の指導も好転せず、

三郎は救いの道を求めて、

アメリカに渡った。

アメリカ大陸も、

三郎を救いえず、

三郎は、大西洋を渡り、

ロンドンにたどり着いた。

様々な大先生を訪ねるも、

救われえず、縁あって、

フランスの地へと赴いた。

フランスのオペラ女優、

サラ・ベルナールの邸宅での、

三郎の生活は、何一つ不自由はなかった。

だが、三郎の年来のこだわりは、

何一つ解決されてはいなかった。

サラの紹介で三郎は、

ドイツの著名な哲学者

ドリューシュにも会った。

しかし三郎の最後の望みも

音を立てて崩れ、

失意のどん底に落ちた時、

心をよぎるものは、

母の顔であった。

日本に帰ろう。

サラの引き止めるのを

振り切って、三郎は、

マルセイユの港を後にした。

客船が出るのが待てずに、

三郎は貨物船に乗った。

一刻も早く日本に帰りたかった。

欧州大陸にも、

三郎が求めるものは、

ついに発見できなかった。

 

インド洋のあたりで、

血を吐いて死ぬかもしれぬ

船旅であったが、

 

「だが天、我を見捨て給わず。

天は不思議な脚本を描くものである。」

このあたりに話が及ぶと、

天風はいつも、眼を潤ませた。

 

船旅の途中、奇跡の縁によって、

カイロで出会った不思議な人物こそが、

ヨガの聖者カリアッパ師であった。

イギリスの国王に会った帰り道の師に、

エジプト・カイロで三郎は、

巡り会うこととなった。

 

私はこの出会いを、

世紀のめぐりあいと呼ぶ。

このめぐりあいを契機として、

結核の一青年が、

救われただけではない。

三郎は後に天風となり、

多くの人々を救うのである。

偉大なめぐりあいは、

春の湖の波紋のように、

次々と人々を救うのである。

 

ヨガとは俗語で、

結びつけるという意味である。

 

ヨガ修行では、

統御を意味する。

ヨガ哲学では、

宇宙と人間との

冥合を意味する。

そのためにヨガは、

八つの階梯をもって

修行をすすめてゆく。

 

倫理的な戒律の行、

様々なポーズをとる肉体的な行、

呼吸を強め、整える呼吸の行、

感覚を統御する行、

精神を集中する行、

集中し尽くす行、

そして無念無想の行がある。

 

三郎は感動的な聖なる体験の中で、

 

わが生命は、

大宇宙の生命と通じている」

と直観するのである。

生命は、

生きて、生きて、

ひたむきに

生きぬくものである。

生きぬくために生命は、

強い力と

すばらしい智恵を

保有している。

生命は、

力と智恵を行使して、

絶妙な創造活動をする。

そして生物は進化し、

人間は向上するものであると、

三郎の澄んだ眼に宇宙の様相が、

明確に見えてきた。

 

この聖なる体験を契機として、

肺患の青年三郎は、

哲人天風に飛躍するのである。

天風は、すさまじい程の迫力で、

多くの人々を救い、導いた。

 

財界、政界、官界、法曹界はもとより、

芸術家、芸能人、スポーツマンなど、

多くの人々が入門し、

喜んで天風の薫陶をうけた。

天風は人々を教化すること五十年、

九十二歳でその劇的な生涯を

閉じるのである。

此の書に収められている語は、

天風が命がけで、

把握した哲理である。

一言一句に、

天風の血潮と汗が滲んでいる。

おろそかに読むものではない。

 

 

松下幸之助氏は、

「自分は運がよい」と

確信している者を

登用したという。

事実、

そのように確信して

努力する者の運命は、

拓けてゆくものである。

 

現在、何も確信するものを

持たない人間にとって、

この書は驚異の書であるが、

また人間に信念を与える

書でもある。

 

〈パドル編終わり。〉

運命を拓く・天風瞑想録

真理瞑想行について

真理瞑想行とは、

テイク編へと続く。

ABOUT ME
文章bunsho
・1958年生まれ フリーブロガー・趣味〜サーフィン(若い頃) 80年卒業後、薬品会社勤務の後83年脱サラ会社起業~現在に至る。傍ら縁あって出会った天風哲学を独学実践。還暦を機に法人解散しフリーランス活動中。 海とトラッドを愛し笑顔で暮らす。
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