(書道)または(書)とは、
書くことで文字の美しさを表そうとする
東洋の造形芸術である。
[書道概説]
文字ははじめ実用として生まれたが、
文化の進展につれ
美的に表現する方法が生まれた。
この美化された文字を「書」という。
「書道」とはこの文字の美的表現法を
規格あるしつけのもとに学習しながら
実用として生活を美化し、
また趣味として心を豊かにし、
個性美を表現していくことである。
そしてその学習過程において、
人格を練磨し情操を醇化していく。
よって書道は人間修養の一方法であり、
古来中国では六芸の一つとして
尊崇されてきた。
書道は主に毛筆と墨を使い
その特徴を生かして
紙の上に文字を書く。
その技法(書法)には、
筆法、間架結構法、布置章法があり、
それぞれに様々な方法が編み出され、
書体や書風などによって
使い分けられている。
技法の習得には、
色々な教育機関を通じて、
書家に師事し、
古典を中心に学習し、
書道展などに出品しながら
技量を高めていくのが
一般的である。
大作などの特殊な場合を除いて
文化圏により書字動作に違いが見られ
中国では高机に向かって
たったまま書くことが慣習であるが、
日本では正座してしたためることが
通例となっている。
【黄昏の書道】
【黄昏の書道】
学生時代にほんのわずかだけれども
「書道部」に身を置いた経験がある、
しかしそれは、まさに、
我が人生の一瞬の通り風みたいなもので、
その記憶の中にはまったく残っていない。
それが、数年前に何故か訪れた「書道展」、
そこで「書の美」に魅せられて以来、
ずっと心の中に燻り続けていた「書道」への想い、
それが、黄昏のひとり暮らしのなかで、
発芽し芽吹きはじめたようである。苦笑。
不思議なものですが、そう言えば、
亡くなった母の最後の手習いも「書道」、
若い頃に日本舞踊の名取として、
地域の人たちに舞踊を教えたりしていた母が、
認知症を患う前の一時期、
最後の手習いとして通信教育で「書道」を
学んでいたことは何かの絆なのかも、、。
10代で、一度は志した「書の道」、
亡き母が最期に志した「書の道」、
時空を超えて、歩み直してみようと思う。