【天国への電信】
人は皆過去を持ち、
現在があって未来がある
またその時々に出会いがり
別れがある
「天国への電信」は、
そんな永遠の別れとなった
大切な人への”こころの通信”です。
その日は、朝から現場仕事があって、
師走に入ったばかりで慌しかった日々の中、
昼には自宅に帰って、少し横にでもなって、
ゆっくり身体を休めようと、
ベッドに横になったんだけど、何故か、
気持ちがザワザワしはじめて、
急に、
「あっ!病院に行かないと!」と、
大急ぎで父の入院している病院に
駆け付けました。
これまでも、自分でも不思議なんだけど、
何か、禍が身に近付いてくると、
「虫の報せ」とでもいうのかしれないけど、
急に、気持ちがザワザワし始めるのは、
人間の本能みたいなものなのかなあ。
学生時代の北海道一周ヒッチハイク旅の時も、
前の日から野宿していた洞爺湖の
キャンプ場で朝目覚めて、急に、
気持ちがザワザワし始めて、
「行かないと!」って急に思って、
慌てて前日干した洗濯物を取り込んで、
テントをバタバタ片付けて、
大急ぎでそのキャンプ場を後にした。
そして翌日、次の目的地に向かう
列車の中で、「有珠山噴火」
のニュースを耳にした時は、
生きた心地がしませんでした。
噴火の直前までいた洞爺湖のキャンプ場は、
溶岩流で覆い尽くされて、
自分が居た時のゆっくりと時間が流れる
まさに自然の中のオアシスとは、
まったく違う趣きになってしまいました。
そんな、それこそ今思えば、「虫の報せ」
があって、駆け付けた父の入院している病院では、
今まさに、父が最期の時を迎えようとしていました。
ベッドの傍には、父が入院してから
毎日通っている姉の姿があり、
いつもは仕事にかこつけて姿を見せない弟の姿に、
びっくりした表情を見せながらも、
自分一人では「父の最期」を看取れないと、
不安な気持ちでいっぱいのところに、
突然現れたわたしの姿に、
すこし安堵の表情が見てとれました。
姉が、「実家に電話しようか?」
と言いましたが、
わたしはまだそんな切羽詰まった状況とまでは
認識していなかったので、
「まだ大丈夫やろ」と答えます。
父はまだ声が出せるような状況で、
「水をくれ」と小さな声で言いました。
姉が慌てて、吸呑器の吸い口を
父の口に持っていきますが、
父にはそれを吸う体力は残されてなく、
姉は仕方なく、口の中に少しの水を
流し込みました。父はそれで、
一息ついたように、両手をかざしました、
右手を姉が握り、左手をわたしが握り、
父の様子を窺っていると、父が、
わたしの顔を見ながら、
「仕事、頑張れよ!」
「母ちゃん頼むぞ!」
と、小さいながらもしっかりした声で
呟きました。
わたしはこの期に及んでもまだ、
父の最期の時だという認識が
受け容れられなくて、
「何?言いよんの!」
(何で最期みたいなことを言うの?)
それが父の今際の際の
父との最期の会話となりました。
そして、少しして、
担当医の先生が来られて、
父の最期を宣告されました。
そこからは、只々号泣して、
遺体が安置所に運ばれるまで、
涙が枯れ果てるまで泣いていました。
今にして思えば、
何故あの最期の別れの時に、
「大丈夫だよ!」「親父ありがとう!」の一言を
措くれなかったのか、ずっと、後悔しています。
わたしはあなたの息子に産まれて感謝しています。
そして誇りに思っています。尊敬しています。
この頃では、やはり親父の息子なんだな!
というようなことも実感しています。
いつどんな場面でも、
声を荒げるようなことは決してなく。
いつも淡々と、そして黙々と生きる
そんな親父が大好きでした。
たくさんの想い出があります。
今でも、その一つ一つを
しっかりと想い出すことができます。
あなたの息子に生まれて幸せでした!
親孝行を全然してあげられなかったことが、
悔やまれてなりません。
「ごめんなさい!」
「親父ありがとう」
こころを込めて
2020年12月8日
18年目の祥月命日に寄せて
不肖の息子より