トラック⑤天風曰く
これまで述べたように、
神と言うものは、
非科学的な人々が
考えているような、
形のあるものでもなきゃ、
人格的なものでもない。
宇宙の一切をつくった
不思議な力を形容するために、
人間たちが、
尊敬と驚嘆の念慮から、
人間がつくった言葉です。
神なり、仏なりが現れて、
おれは神だよ。おれは仏だよって、
言ったんじゃないんだから。
なんだか訳がわからないけど、
どうも不思議というよりか、
言葉のないような、
この宇宙のあらゆるすべての
事物事象に対して、ああ、
とてもわれわれではできない!
というような、
驚嘆と尊敬の念慮から、
神、GOD、仏と、
名付けたんです。
つまり、詮索していきゃ、
宇宙の根本主体なんです。
これをもっと、
純粋科学の立場で言えば、
一切のエネルギーを生み出す。
しかも、
感覚することのできないもの。
それだけに、
ややこしいんですよ。
一切の、よろしいか、
エネルギーというのを生み出す。
電気の力でも、磁気の力でも、
風の力でも、水の力でも、
あらゆるすべてのエネルギーを
生み出す元なんです。
元なんですけど、
感覚することができないもんですから、
こういう話を聞いても、
なんだか訳のわからないと
感じちまうんだな。
どんなに科学文明が進歩して、
どんな細かいものを
見るような顕微鏡ができても、
どんな遠くのものを
見られるような眼鏡が
出来たって、
見えないもの、
聞けないもの、
感じないものなんだよ。
つまり適切に言うと、
断然わからない気体なんですよ。
「気体なんです。」
しかもこの見えない気体の中に、
霊妙な働きを行なう力と
叡智とが含まれている。
これをお考えになりません?
人間がいろいろなことを
工夫したり、
考えたりすると、
いい知恵だな、
いい分別だなと
言うけども、
それもこの気体の中に、
驚く作用素を
働かす力があり、
また推し量ることのできない
幽玄微妙な叡智が
あるからなんだ。
これはもう何も、
それが事実であることは、
この宇宙のすべてが、
万能力でできている
ということは、
直感的でもって、
悟れるでしょう。
だから、
「神人冥合」というのは、
その万能力というものを、
できるだけ自己の生命に
分量多く受け入れる
方法を言うのですよ!
明日に続きます。
ではまた明日。
「神人冥合」=宇宙を創造した万能力を、でき得るだけ分量多く自分の生命の中に受け入れる方法