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笑顔だよ
⭐️巫女の伝言

【自分探し】深刻化するフリーター・ニート問題。いつまでも働かない若者たち

いつまでも働かない、

決められない若者たちの

心性の根底には、

例の「自分探し」が

あるとも言われる。

「自分がわからない」だから、

「自分に合った」「自分にふさわしい」

仕事が見つかるまで、

働きたくないという理屈である。

彼らは、「自分に合った仕事」を、

見つけたいと言う。その一方で、

「自分がわからない」とも言う。

つまり、わからないものによって、

わからないものを

見つけようとしているわけだ。

そんなもの、

見つかる道理がないではないか。

自分というのは

「わからない」のではなくて、

自分というのは「ない」のだと、

一度思い知らなければダメなのだ。

大人は、

本当はそう教えるべきだったのだ。

しかし、戦後の教育は逆に、

「自分らしく」「個性をもって」

生きなさいと教えてきた。

個性というものは、

自分が見つけるものではなくて、

他人が見つけるものなのである。

自分というものが「ない」と、

知ることによってこそ、

人は個性的な人になる。

こうとしかできない自分を知る。

自分なんてものが「ある」

と思っているから、

人はいつまでもそんなものを

探すことになる。

本当には生きられないのである。

生きることは死ぬこと

だとわかるなら、

できることしかしなくなる。

選択の余地はない。

当たり前ではなかろうか。

〈知ることより考えること〉池田晶子(著)抜粋引用

確かに、自分のこの長かったのか

短かったのかわからない

ここれまでの人生をザッと

簡単に振り返ってみてみると、

果たしてこれが本当に、

正しい道だったのかそれとも、

もっと違った、「あんな道」「こんな道」、

確かにあったような気がしないでもない。

まあ、そもそも「正しい道」なんてものが

あると仮定する方がどうかしてるわけで、

そも、正しくないといけないという前提自体に、

胡散臭さを感じないわけではないし、

いずれにしても、この道しかなかったと、

肯定することでしか、人は前を向いて

生きていけないような気もするし、

そも、違う道だったとしたら、

これまでに出会ったすべての人たちとは、

おそらく出会ってはいないわけだろうし、

と、こんなことに文字数費やしていても

仕方がないことなので、

ここら辺りで上記の池田晶子女史の

”哲学エッセイ”に戻りたいと思うけれど、

「自分探し」の若者たち、

これは、一様には中々言い切れない部分もあって、

まあ、だからと言って、

ありきたりの解釈にたよって、

家庭環境がどうの、時代状況がどうの、

あるいは脳の器質的欠陥がどうのと、

最後には、

「何じゃら症候群の何じゃら障害」

という病名でフタをしておしまい。

えてしてそんな曖昧な、ある種無責任な、

そんな社会になっているような気もする。

確かに、複雑極まりない社会情勢で、

そうやって、見なかったことにする。

あるいはなかったことにする。

そうする事でしか、今のこの社会は、

成り立ち得ないのかも

知れないのだけれども、

かと言って、そのまま置き去りで

いいわけがないわけで、

やはりそれを解決するのが、

脳科学、心理学、哲学、

であったりするのかな、、。

いずれにしても、

寄り添う事、そのことだけは、

間違いのない真理のような。

ただ、寄り添い方、ここが、

焦点になってくるのかな。

 

若者は型にはめるべきである。

「自分探し」という不毛を

封じるために、

彼らには型が必要なのだ。

元服の儀式がその典型である。

今さらそんなことも

言えないから、

禅寺にでも放り込むか。

〈知ることより考えること〉池田晶子(著)抜粋引用

ABOUT ME
大塚文彰
・1958年生まれ ・孤低の黄昏ブロガー・趣味サーフィン(若い頃) 80年卒業後、薬品会社勤務の後83年脱サラ会社起業~現在に至る。傍ら縁あって出会った天風哲学を独学実践中!還暦を機に法人解散しフリーランス活動中。 60代一人暮らしを笑顔で暮らす。
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