=”【薩摩の教え】”]薩摩の教え・男の順序の5段階評価(1)何かに挑戦し成功した者
(2)何かに挑戦し失敗した者
(3)自ら挑戦しなかったが挑戦した人の手助けをした者
(4)何もしなかった者
(5)何もせず批判だけしている者
武勇に優れる島津義弘が残したと言われているのが「薩摩の教え・男の順序」
幕末、明治維新で活躍した西郷隆盛や大久保利通、
日露戦争で勝利をもたらした東郷平八郎などの人材が次々と生み出されたのは、
義弘の教えが代々引き継がれたからとも言われています。
薩摩藩と言えば、戦国時代、江戸時代に鹿児島県と宮崎県の一部、そして沖縄を統治して
外様大名ながらも、幕府に強い影響力を持った有力大名ですが、
薩摩藩の礎をつくったのが、戦後武将である島津義弘。
朝鮮出兵では、明軍や朝鮮軍に「鬼島津」と恐れられて、
豊臣秀吉や徳川家康にも武勇を讃えられた武将です。
関ケ原の戦いでは、西軍が壊滅、敗走をはじめた時に、
島津軍だけは撤退せずに、正面の徳川家康の本陣を目指して突撃。
後に「島津の退き口」と呼ばれて全国に勇名を轟かせました。
